マドンナリリーを巡って(2)

 ニワシロユリとテッポウユリは異なる植物種であっても、それらが象徴するものはキリスト教では同じでした。象徴するユリと象徴される純潔のマリアや死との関係はルーズで、象徴するユリの種類が変わっても象徴されるものに変化はありませんでした。物理的に象徴する媒体が変化しても、非物理的な象徴される対象は不変でした。個々の天皇が変わっても、天皇が象徴するものは不変だという理屈によく似ています。

 ユリは神話や聖書にも登場する女王のような花ですが、日本は野生ユリの宝庫。人が最初に栽培した花の一つがユリで、神話、宗教、芸術、文学などに登場するユリを絡めた物語は善と悪、生と死といった、まったく正反対のもので溢れています。強い香りで死の臭いを隠すためにユリは葬式に不可欠であり、花嫁は多産の印としてユリの冠をかぶりました。ユリは生と死の両面を秘めた、矛盾する役割を併せ持つ花だったのです。

 ヨーロッパのユリ属のトップはニワシロユリでした。古代ローマ人は神への供え物や観賞用だけでなく、球根を食料、薬品などにするため、ユリを栽培し、ローマ軍のヨーロッパ遠征に伴い、ニワシロユリは欧州全土に広がりました。

 そのため、ニワシロユリはキリスト教の「聖花」になったのですが、後に日本のテッポウユリに取って代わられたことを既に述べました。ところで、聖書の「野のユリ」は何色だったのでしょうか。新約聖書の『マタイによる福音書』(6章28節)に登場する「野のユリ」です。聖書のユリは白いイースターリリーではありませんでした。植物学者たちは中東原産の白、紫、さらには赤色の、いくつもあるユリのいずれかだったのではないかと推定しています。

 日本から「鉄砲ユリ」がヨーロッパに渡ると、白いテッポウユリはそれまでの「白いユリ」から区別するために「マドンナリリー」と呼ばれるようになりました。マドンナリリーは聖母マリアの象徴となり、教会花として用いられてきました。そして、バチカン市国の国花となっています。 

 「純潔」というユリの花言葉ギリシャ神話に由来します。ゼウスの妻で、結婚や母性、貞節を司る最高位の女神「ヘラ」のこぼれた乳が、地上でユリになったとされます。このことから、ユリはヘラの花とされ、古くから清純、純潔、母性の象徴とされてきました。さらに、ユリはキリスト教と関わりが深く、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた宗教画「受胎告知」にもユリが描かれています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」の天使ガブリエルは左手に聖母マリアの純潔の象徴である白ユリを捧げています。天使ガブリエルは白いユリの花をもち、マリアに処女懐胎を告げます。聖母マリアを象徴する白いユリの花はボッティチェッリエル・グレコの「受胎告知」でも描かれています。実際に、ダ・ヴィンチボッティチェッリエル・グレコの作品を、例えば、Wikipediaで確かめてみて下さい。

**ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは19世紀のイングランドの画家・詩人。妹の詩人クリスティーナ・ロセッティと共にラファエル前派の主要メンバーとして知られています。画像の「Ecce Ancilla Domini(ラテン語で「主の侍女を見よ」)」は伝統的な約束事を守って描かれています。一方、ルネ・マグリットの「受胎告知」に約束事は一切ありません。最初に象徴するユリと象徴される純潔のマリアや死との関係はルーズだと言いましたが、象徴するもの、されるものの関係は見事に破壊されています。