「美しい」花は自然種なのか、それとも人工物なのか?

 自然的(natural)なものは人工的(artificial)ではないというのはごく当たり前のことだと思われがちですが、100%人造のものはあるでしょうか。あるいは、100%自然のものはあるでしょうか。前者の問いにはNo、後者の問いにはYesと答えたくなります。どんな人造物も原料は自然のものであり、人類が登場する以前のもの、人類が絶滅した遥か以後のものは100%自然だと考えるのがそれぞれの理由です。でも、人類が存続している間は自然と人工の混淆が数多く見られることになります。

 その混淆が行われている世界では、自然と人工の二つの区別は相対的なものに過ぎないことになります。それでも人為的、人工的と呼ばれるのはどの部分を指しているのか、逆に、自然的と言うのは自然のどのような部分を指しているのか、知りたくなります。自然の中の人工的な部分、人工的なものの中の自然的な部分とはどのようなもので、混淆の仕組みや度合いがどうなっているのか知りたくなります。自然選択(natural selection)と人為選択(artificial selection)は異なる選択ということになっていますが、混淆や習合を基本にして考えるなら、選択は自然と人為の混淆、習合したものだということになります。仏教の「因縁」も自然と人為の混淆した因果連関、つまりは選択を表しています。

 植物の品種は人工的に生み出されたものですが、栽培する品種はどの程度自然的で、どの程度人工的なのでしょうか。遺伝子組み換えの食料は自然的ではないのでしょうか。自然の造形は品種の花の色や形に見ることができます。植物の形態が適応(adaptation)であるなら、それは「自然に生まれたもの」と言っても、自然の中で植物が適応することによって獲得した形質です。動物が広義の学習によって獲得し、それが文化的に遺伝するのも同じであり、自然と人工の二分法が成り立たないのが生物進化の世界であり、自然と反自然、自然と人工と言った区別が適切でないことを示しているのです。

 そんな屁理屈より、実際の花の見事な造形を見てみましょう(画像)。形や色の巧みな造形に私たちは惹きつけられ、心を奪われます。溜息しか出ない見事さに魅了される私たちの能力も進化の結果なのだとなると、見事な形態は私たちの心を虜にするための生存闘争が繰り広げられてきた結果だということになります。

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