信濃の俳人となれば、小林一茶ですが、彼の「ふるさと」観の変遷は現代人にも通じるもので、庶民のふるさと観の典型例と言えます。
一茶はまだ江戸にいた寛政6年にふるさとへの熱き思いを表現しています。
初夢に 古里(故郷)を見て 涙かな
一茶48歳の文化7年にはふるさとの身内との諍いにすっかり参ってしまいます。
故郷(古里)や よるもさわるも 茨の花
でも、2年後の文化9年には観念し、大悟した様子が窺えます。
是がまあ つひの栖か 雪五尺
これら三句から、一茶のふるさと観が伝わってきます。ふるさとはあこがれの地であり、面倒ないざこざだらけの地であり、そして終には骨を埋める終焉の地でもあるのです。
私たちが抱く「ふるさと」観に含まれる基本的な三つの特徴を一茶は経年的に見事に表現しています。夢、現実、諦念とも呼べるようなふるさとへの思い入れが表現され、正に生活の中の「ふるさと」が巧みに切り取られているのです。
*一茶の句でも「故郷」、「古里」の表記のどちらも使われているようです。俳句では「ふるさと」、「古里」、「故郷」のどれもが使われています。