久し振りにマルバアサガオに出遭った。子供の遊び場の端のフェンスに絡まり、花をつけていたのだ。9月初旬にマメアサガオとの再会について記した。それ以上に久し振りなのがマルバアサガオだった。マメアサガオは北アメリカ原産の1年草で、1955年に東京近郊で見つかったのだが、マルバアサガオは既に1700年代に観賞用として渡来している。普通のアサガオの葉が三つに裂けるのに対し、丸いハート形であることから、マルバアサガオと呼ばれている。
アサガオの流行を辿ってみると実に面白い。朝顔は薬草として奈良時代に唐や百済から伝来し、観賞用に栽培されるようになったのは平安時代。だが、一般に広まったのは江戸時代に入ってからのこと。江戸初期の園芸書『花譜(かふ)』(1694、貝原益軒)ではアサガオの花色はまだ少なかった。平安末期の『平家納経』のアサガオは青花である。それが17世紀になると、淡紫、白、浅葱(あさぎ)の三色が記録され、元禄時代には赤色系が加わり、18世紀以降花色は多彩になる。文化年間には黄花が出現する。江戸中期には数十種の花色と実を結ばない重弁の品種が育成され、園芸植物として人気を博した。
その後の変化アサガオは明治35年頃に大流行をみせたが、この間に大輪アサガオの栽培が普及し、明治以降は花の大きさが競われるようになる。こうして、ニホンアサガオは大輪花を観賞する「大輪アサガオ」と多様な花形を観賞する「変化アサガオ」とに分けられることになった。