湾岸地域に思ったより多いのがザクロ(石榴)で、その花が今年も咲いている。青空の中の赤い花は人を惹きつける。子供の頃、近所にザクロの木があって、不規則に裂けた実と種の多さ、そして酸っぱく、プチプチとした食感が今でも強く記憶に残っている。カキやリンゴとは違って、ザクロは異国のものという印象が強かった。
ザクロは10~11世紀頃に渡来している。種(タネ)が多いことから、アジアでは昔から子孫繁栄、豊穣のシンボルだった。唯一の女性のことを「紅一点」というが、これは既述のように王安石がザクロの林の中に咲く花を詠んだ詩から出た言葉。
子供の私にはザクロやブドウはシルクロードで運ばれてきたエキゾティックな果物だった。ザクロの原産地ペルシャは現在のイラン、アフガニスタン辺りで、シルクロードを経てインド、中国、日本へとはるばる渡ってきたのだ。
*ザクロの花には一重と八重の違いがある。八重の花は結実しないため、一重の花のザクロを「実ザクロ」、八重を「花ザクロ」と区別し、江戸時代以来この花ザクロが主に楽しまれてきた。文化文政時代頃から花ザクロの栽培が盛んになった。1709 (宝永7)年に出された貝原益軒著『大和本草』によると一重石摺,八重石棺,銀檎,新鮮石摺の4種が掲載されている。日本で花ザクロの生産が盛んになった理由は何なのか。ザクロの開花時期は比較的長く、6月~9 月に咲く。結実に必要な花は5月下旬~6月に咲いた花になるが、この時期は梅雨期になり、雨が降るとザクロの受精はうまくいかず、結実が安定しないことになる。また、ザクロは種子が多く、日本人は果物の中に種子のあることを嫌い、ブドワでも種なしのブドウを作っている。江戸時代にはウメ,サツキなどの花木が愛好され、たくさんの品種が生み出された。そのため、明治大正期に花ザクロが発達したと考えられる。最後に、ザクロは枝変わり変異などの突然変異が起こりやすい。こうして、花ザクロは自然選択より、人為選択が主となって生まれた変異ということになる。