ソメイヨシノの本性(Nature)

 今年もそろそろ桜の開花時期。日本を代表するサクラは落葉高木で、大きいものは高さ20m、直径1mまでになり、天然記念物に指定されているものも多い。その代表的なものが、山桜の一群。ヤマザクラ、あるいはシロヤマザクラはほとんど白に近い薄紅の花をつけ、北は本州の宮城、新潟から、南は屋久島まで分布している。また、オオヤマザクラ(ベニヤマザクラ、エゾヤマザクラ)はシロヤマザクラより花の色が濃い淡紅色で、形も少し大きく、本州北中部から北海道、樺太に分布。最後は、カスミザクラあるいはオクヤマザクラで、花はほとんど白色で、シロヤマザクラよりも半月以上も花期がおそく、北海道、本州、四国、九州の山地に分布している。ここまでが自然のサクラ。

 ウメ、コブシ、モクレン、モモなどは新芽が出る前に花が咲く樹木。葉がまだ出ていないのに花だけ咲き、花がとても目立つ。だが、しっかり観察するなら、同じサクラでも葉の出るのとほぼ同時に花が咲くものや、葉の出た後で花が咲くものなど、実に千差万別。サクラの仲間には秋に花を咲かせるもの、秋と春に二度開花するものもあり、条件次第で春に咲くサクラが秋に花をつけることさえある。

 ところで、植物の増殖の過程では、花が開くのが春であるか秋であるかには関係なく、「まず葉が茂ることで光合成が行われ、それによってエネルギーが蓄積され、それによって花芽が成長し、開花、受粉の過程を経て、果実がつくられ、果実が成熟して新しい個体に育つ」というシナリオが一般的である。このシナリオの実現過程には大量のエネルギーが必要で、生殖の過程と光合成によるエネルギー獲得過程が同時に進行するのが最適。

 では、ソメイヨシノのように、葉が出るより先に花が咲く理由は何か。開花と新芽は実際にはほぼ同時だが、花芽が休眠中に大きく成長しているため、見かけ上では花の展開が芽生えに先行するようになって現れるか、あるいは、仕組みとして開花と開葉は別々に制御されていて、場合によっては開花によってもたらされるシグナルが芽生えのスタートに関わっていることも考えられる。いずれの仕組みによるにしても、結果として生ずる開花と開葉の時間差は植物にとっては重大で、受粉の過程が影響を受ける可能性が高い。だが、まだ結論は出ていない。

 最近の遺伝子解析による研究の結果、ソメイヨシノの起源はエドヒガンザクラ(母種)とオオシマザクラ(父種)の交配によって生まれたことがわかっている。栽培の歴史は新しく、江戸(染井:現在の豊島区)の植木屋が、はじめ「吉野」の名で売り出した。奈良の吉野山ヤマザクラと混同しやすいというので、明治33年に「染井吉野」という名前に改められた。花に香りはなく、花弁は5枚の一重咲き。

 ソメイヨシノはクローン植物。だから、ソメイヨシノという栽培品種は自然に増えることができない。種子で増やすと親の形質を必ずしも子に伝わることがないため、ソメイヨシノの優れた形質を残し、増やす方法は接木もしくは挿し木に限られ、その結果、クローンとなってしまう。ソメイヨシノは、人の手を介さないと生存することができず、美しい花を咲かせ、巧みに人々の心をとらえた結果、人と共存の道を選んだ桜である。クローン植物で遺伝子が同じソメイヨシノは、条件が整えば一斉に開花する。ソメイヨシノは寿命が短いと言われるが、片親のエドヒガンザクラは大変長命で、全国には樹齢千年級のものが数多く存在する。長命の桜から誕生したソメイヨシノは皮肉なことに薄命なのである。

 今年も直に桜が咲く。桜は私たちに自然を理解するヒントを数多く提供してくれる。「自然なサクラと不自然なサクラ」となれば、自然に自生するサクラと人が繁殖した人工的なサクラの対照が思い浮かぶ。そして、後者、つまり不自然なサクラの代表がソメイヨシノ。確かに、盆栽、野菜、穀物はいずれも不自然な植物。私たちが食べている植物はみな不自然な植物だが、不思議なことにかつては自然な植物だった。不自然な動物の例となれば、サラブレッド。18世紀初頭、イギリスでアラブ馬やイギリス在来の品種等から競走用に品種改良された。競走時には60〜70kmの速度で走ることができる。

 では、ソメイヨシノは自然のものではないので、自然の美しさをもっていないのか。吉野山のサクラの美しさとは違うのか。ソメイヨシノの美しさは美術的作為が働いた、美容整形されたような美しさなのか。そんなことはなく、私たちはソメイヨシノにも山桜にも同様の美しさを感じる。

 自然に見える自然(の風景)の中にはしばしば不自然に見えない不自然(の風景)が紛れ込んでいるが、その一例がソメイヨシノ。私たちはソメイヨシノの花を日本の原風景であるかのごとくに眺めるのが普通である。ソメイヨシノは日本の自然の中に溶け込んでいる。それと同じように、常識に見える非常識の中には科学的に見える常識が、常識に見えない常識の中には科学的に見える非科学が紛れ込んでいる。科学的な知識と常識がミックスしている状況は、私たちが当たり前のようにソメイヨシノの花を愛で、楽しむのと同じように、自然がもっている、ごく当たり前の状況である。自然が生み出したサクラも、人が生み出したソメイヨシノも、人自体が自然の産物であることを認めるなら、大局的には何ら変わるところはないのである。

ソメイヨシノユキヤナギ