主語と個物、述語と性質

1大人と中学生に 

 言葉を使って考え、議論するのが人の特徴。それをヒントにアリストテレスがつくり出した三段論法中心の論理学はギリシャ語という自然言語の表現形式をフル活用してつくられています。実験を工夫する代わりに、言葉とその表現を徹底して信頼したのがアリストテレスです。彼は様々な存在を分類整理するためにカテゴリーを設け、実体、分量、性質、関係、場所、時間、位置、状態、能動、所動を挙げています。それらは言語表現から抽出された存在の基本的特徴です。文の中で主語になるのが実体、9個の様相はいずれも述語を使って表現されます。

 では、アリストテレスの「実体」とは何か?それは、「これ」、「あれ」と代名詞を使って、指さして示すことができるような「個物(individual)」です。でも、プラトンにとって、真の存在は「イデア」で、個物は「イデア」のコピーに過ぎません。アリストテレスにとっては個物こそが真の存在で、彼は師であるプラトンに盾突いた訳です。その個物の属性(性質、attribute、property)が述語によって表現されたとき、私たちはその個物が何かがわかります。鉛筆が横にあるとき、私は「これは」という主語の後に、「鉛筆である」という述語をつけて、それが鉛筆だと認識します。これで話を止めればいいのですが、大人はそれでは満足せず、言語レベルを超えて迷走を始めるのです。

 実体や本質は一体どのようなものなのか、という問いが瞑想(迷走)の始まりで、その答えを予想することは困難です。眼前のネコからさまざまな個別の性質を取り去り、ネコの実体そのものを想像しようとしても、途方に暮れてしまいます。ところで、「ネコは哺乳類である」の主語「ネコ」は何を指すのでしょうか。この主語の「ネコ」は「このネコ」とは異なり、指さすことができません。では、この「ネコ」は実体なのでしょうか。このような疑問が噴出し、その始末に追われるのがその後の哲学の歴史でした。

*「ネコは哺乳類である」は「どんなxをとっても、xがネコであるならば、xは哺乳類である」に書き換えることができ、xが主語、「ネコである」や「哺乳類である」が述語になります。

 実体をめぐる議論は、中世に実在論唯名論の対立として哲学の最大テーマになります。実在論者は一般名詞の指す実体が実在すると主張し、唯名論者は実体とは主語と述語の間に成立する関係を表す言語的、操作的な概念に過ぎないと主張し、両者の主張は水と油のような関係でした。

 

2中学生だけに

 アリストテレスのアイデアとつながっているのが数学の言語です。数学記号の開発はアリストテレスとは無関係で、ヨーロッパで発展します。数学的な実体といえば数ですが、それら数学的対象を指すために使われてきたのがご存知の「変数(variable)と定数(constant)」。これらは誰でも知っていることですが、変数や定数の「値(value)」が実は典型的な個物の例、つまり個々の数なのです。

 「関数fの具体例の一つが y=x+3」というような表現によくお目にかかるはずです。まず、「y=f(x)」は文(sentence)です。ですから、y=x+3も文であり、この文の主語はxyの二つで、+が関数、=が述語です。関数や述語は問題ないと思いますが「一つの文が二つの主語をもつことなどあり得ない」というのが自然言語の文法の常識です。一つの文は一つの主語をもつというのが自然言語の性質です。アリストテレスもこの常識に従ったのですが、数学ではw=f(x, y, z)が4つの主語をもつと平気で考えます。同じように、x<yは「xyより小さい」という主語が二つの文なのです(大袈裟に言えば、自然言語形式言語の肝心の違いはこの主語の数にあります。一つの文に一つの主語が自然言語の原則ですが、形式言語は一つの文に幾つの主語があっても構わないのです)。

 変数xyは整数や実数を指しますが、xyは「これは本である」の「これ」、つまり指示代名詞と同じものなのです。数式に現れる変数は自然言語での指示代名詞とおなじもので、定数は固有名詞です。πc(光の速度)は定数ですが、「西脇与作」、「妙高市」といった固有名詞と同じ身分のものです。変数が指示代名詞というのは奇妙な気がするかもしれません。「これ」、「それ」は変数のxyのことで、数式や文が表現している対象です。「これは偶数である」は「xは偶数である」と同じです。

 整数の世界を考え、整数の間での加法と減法を考えたとき、大人たちが実体と呼んできたものは整数であり、実体の間には足し算と引き算の演算+と-が定義され、等号=は2変数の述語になっています。例えば、y=x+3は「yxに3を加えたものに等しい」という文であり、yxは変数、3は定数、+は関数、=は述語ということになります(整数ではなく、有理数や実数、複素数の世界も考えてみて下さい)。

 整数や実数という数学世界ではなく、実際の物理世界を考えたとき、xyが指し示すものが物理的な個体ということになりますが、その個体が何かはどのような理論を想定するかに応じて変わってきます。相対性理論量子力学では何が個体かは違っていますし、分子遺伝学と進化生物学でも何が個体かは違ってきます(DNAや遺伝子、生物個体や生物種について考えてみて下さい)。

3再び、大人と中学生に

 こうして、プラトンイデアを変数に対応させるのは無理があり過ぎてできませんが、アリストテレスの実体を変数に対応させるのは大抵の場合不自然ではないことがわかる筈です。とはいえ、変数で表現される実体の本性を知るにはイデアと呼ばれた述語の分析が不可欠なのです。