怨念の梅

 桜は日本を代表する花木で、誰もが花の美しさを愛でる。春の美の象徴でもあるのが桜で、暗い側面は感じられない。モダンな桜に対して、梅は古典的である。あくまで陽の桜に対し、人々の愛憎や怨念を暗示してきたのが梅である。

 怨霊のもたらす祟りは憎しみや恨みの対象を死に至らしめるというもので、神道の「御霊信仰」に由来する。そこで、人々は怨霊を「神(御霊)」として祀り崇めることで祟りを鎮め、平穏と平和を取り戻そうとしてきた。怨霊が御祭神となる神社が創建された。強力な怨霊として恐れられたのが、「菅原道真」、「平将門」、「崇徳天皇」の三人。その道真は好んだのが梅だった。

 中流貴族出身の菅原道真は870年に官吏登用試験で抜群の成績を修めて任官。天皇からの信頼も厚く、朝廷の最高職の右大臣に就任し、藤原氏と並ぶ権力の絶頂期を迎えました。しかし、そんな菅原道真の出世を快く思わない人も多く、中でも当時のもう一人の権力者である左大臣藤原時平はその筆頭でした。時平は醍醐天皇に「道真は天皇廃帝の陰謀を企てている」と伝え、道真は無実の罪を着せられ、左遷され、大宰府に送られる。太宰府に幽閉された菅原道真は僅か2年で非業の死を遂げた。

 その後、時平は39歳で突如亡くなり、宮廷に落雷があり、複数の貴族が命を落とし、やがて醍醐天皇も病で立て続けに亡くなった。これら出来事は道真の怨霊による祟りであると恐れられ、菅原道真の魂を神として祀るべく、北野天満宮が建立されることとなる。

 梅を通じて知る怨念や怨霊は今の私たちの生活に影響を与え続けている。

*『菅原伝授手習鑑』は1746(延享3)年に大坂・竹本座で人形浄瑠璃の作品として初演され、9月には京都・中村喜世三郎座で歌舞伎として上演され、翌年には江戸でも歌舞伎が上演された。