9月20日は彼岸入り。その彼岸の花となれば、ハス、スイレン、ヒガンバナが思い浮かぶ。「蓮華(れんげ)」は仏教の伝来で中国から日本に入ってきた言葉で、「尊い仏の悟り」という意味がある。また、仏陀の故郷インドを原産国とするハスやスイレンの総称としても知られている。「彼岸」の原点は梵語のパーラミター(波羅蜜多)で、「超える、渡る」の意味から到彼岸と訳された。此岸は私たちの住んでいる世界で、欲や煩悩にまみれた世界。
「曼陀羅華(まんだらげ)」も「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」もインドでは白い花だが、中国に伝わってから「曼珠沙華」は赤い花を指すようになった。『法華経』の序品第一に「蔓陀羅華、摩訶曼陀羅華、蔓殊沙華、摩訶蔓殊沙華、而散仏上」の一節がある。この節から法華経を説かれるブッダの頭上に、天界の花の蔓陀羅華と蔓殊沙華の花が降り注いで、ブッダを礼賛した。
仏陀が「彼岸に渡れ」と説いたように、彼岸は人々が欲や煩悩から解放された世界である。此岸と彼岸の間には大きな川があり、自分がいる方が「此岸」、向こう岸が「彼岸」。仏教では、私たちが住む「此岸」を煩悩にあふれた世界、「彼岸」は煩悩の火が消えた、涅槃の世界と考える。仏陀は「人は此岸で真の幸せになれなから、彼岸に渡れ」と主張し、その川を渡る方法を説いた。仏陀は川を渡るために「出家せよ」と説く。大乗仏教の『般若心経』は「わざわざ彼岸に渡らなくとも、彼岸の智慧を身に付ければよい」と教えている。
彼岸の時期に先祖供養をするのは、日本独特のもの。蓮も曼殊沙華も此岸に咲き、生きている。それらが死んだら、人と同じように彼岸に行くことになるのか。こんな単純な疑問でも答えに窮するのが宗教の面白い点でもある。