因果的に変化する漫画や絵巻物

(因果的変化を表現するには非因果的な言語が必要ということの簡単な説明)

 団塊世代の私には漫画が子供の頃の娯楽の一つで、お気に入りは『赤胴鈴之助』だった。大学生の頃には『あしたのジョー』が人気を博していて、学生が行く食堂には漫画週刊誌が溢れていた。漫画の主役は絵にあるのだが、静止画からなる漫画が読者にストーリーを伝えることができるのは画面に書き込まれたセリフや説明文である。絵だけでは複雑なストーリーは伝わらない。これが動画なら、文字ではなく、音がセリフやナレーションとなる。映画でもチャップリンが活躍した無声映画の頃にはセリフや説明文が文字として挿入されていた。つまり、ストーリーの伝達には画像だけでは不十分で、言葉による(つまり、文字や音による)情報伝達が不可欠なのである。

 これは絵巻物にも同じように成り立つ。『源氏物語絵巻』は平安時代末期の制作とされていて、『伴大納言絵詞』、『信貴山縁起絵巻』、『鳥獣人物戯画』とともに日本四大絵巻と称される。『源氏物語』の54帖の各帖から印象的な場面を選んで絵画化し、その絵に対応する物語本文を書写した「詞書」を各図の前に添え、「詞書」と「絵」を交互に繰り返すのが絵巻の仕組みになっている。これは漫画や無声映画の原形と言ってもいい形式である。詞は流麗な仮名文字で書かれ、造形美の極致を示している。

 『源氏物語』を読んだことのない人が『源氏物語絵巻』の絵だけを見て、そのストーリーを想像できるだろうか。あるいはセリフなしの『あしたのジョー』からストーリーを知ることができるだろうか。私にはできそうにない。絵巻物や漫画がどうしてストーリーとして楽しめるかと言えば、画面と共存するセリフや説明の言葉である。そして、その言葉は文法や意味論をもち、文字で表現できる離散的なシステム(私には日本語)であることを思い起こすなら、因果的に、連続的に変化する私たちの生活世界は非因果的で、不連続な言葉や文字がなければ、生まれない世界なのである。

*添付画像からストーリーを作ってみて下さい。次に、「瞬間(の)写真」とはどのようなものか考えてみて下さい。

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