私が生きる世界(2)

3 ギリシャ神話

 古代ギリシャの凄い点は見事な神話を創作した一方、それを否定するかのような自然に関する哲学を展開し、数学、科学、演劇、芸術等にも貢献したことである。こんな国は他にない。神話は事件や出来事を物語ることからなっていて、世界が因果的であることだけでなく、私たちが住む世界の創世を含めてのエピソードの集まりである。一方、哲学理論は事象の説明理論であり、環境を換骨堕胎して組み立て直し、説明することである。出来事がどのように起こっていくかを因果的に知ることが神話であるとすれば、起こっていく仕組みを再現することによって論理的に知ることが哲学であり、これは世界を受動的に知ることと能動的に知ることの違いと言ってもいいだろう。

 何が起こるかを知覚することから、物語を知る、理解することを前提にして神話が生み出された。ギリシャ人は世界を語る見事な神話をつくり上げ、それで飽き足らずに叙述や描写の背後にある仕組みや過程を分析し、構成し直す哲学も生み出した。これは他人事ではなく、あなたや私にとって神話と哲学、神話と科学はどのように異なり、何が共通なのかを考える上で大きな示唆を与えてくれた。それがギリシャなのである。ギリシャ神話はギリシャ人にとって行動規範になり、ギリシャ哲学は世界についての知識となった。最も有名な神話と哲学が共にギリシャで生まれたことは決して偶然のことではない。

 古代ギリシアの諸民族に伝わった神話や伝説を中核として、様々な伝承や挿話の要素が組み込まれ累積してできあがったのがギリシャ神話であり、世界の始まりと神々そして英雄たちの物語の集まりである。それは古典ギリシアの市民の標準的な教養だけでなく、更に古代地中海世界での共通知識として、ギリシア人以外にも広く知れ渡ることになった。

 ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語は、およそ紀元前15世紀頃まで遡る。 神話は口承形式で伝えられてきたが、ホメーロスの二大叙事詩イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作である。口承で伝わっていた神話を、文字の形で記録に留め、神々や英雄たちの関係や秩序を体系的にまとめたのは、紀元前8世紀の詩人ヘーシオドスである。彼の『神統記』は現存する文献のなかでは初めて系統的に神々の系譜と英雄たちの物語を伝えるものだった。次いで、ギリシャ悲劇の詩人たちが、ギリシア神話をより体系的に築き上げて行った。

 ギリシア神話は、大きく三種の物語群に分けられている。それらは世界の起源、神々の物語、英雄たちの物語である。英雄物語は分量的には最も大きく、所謂ギリシャ神話として知られる物語や逸話は大部分がこのカテゴリーに入る。この第三のカテゴリーが膨大な分量を持ち大量の登場人物から成るのは古代ギリシアの歴史時代における王族や豪族が、自分たちの家系に権威を与えるため、神々の子である「半神」としての英雄や古代の伝説的英雄を系図作成に利用したからである。

4 ギリシャ哲学:ターレス、パルメニデス、ゼノン

 論証や証明がもつ俯瞰的な観点を最初に導入したターレスは一流の幾何学者となり、幾何学によって因果的な世界から独立した数学的世界の存在を示すことに成功した。[1]彼に始まる幾何学は、その後ユークリッドによってギリシャ数学の主役として『原論』にまとめられることになる。

 幾何学的な見方を使って世界を非因果的に説明しようとした最初の哲学者がパルメニデスで、その形而上学は徹底して俯瞰的、非時間的であり、そのため因果的な運動変化は単なる仮象に過ぎないとみなされた。運動変化の否定をより具体的に示そうとしたのが彼の弟子ゼノンだった。世界のすべてが既に起こったかのように扱われ、起こったもの、起こるもの、起こるだろうものが、同じ存在として絵巻物のように列挙併記されるというのがパルメニデスの世界である。変化に関わるような、例えば「可能性」といった概念はすべて否定され、様相や時制が存在しない世界がパルメニデスの世界となる。彼の形而上学は決して荒唐無稽ではなく、その哲学的アイデアは原子論と同じように現在まで生き残り、ブロック宇宙モデル(Block Universe Model)として生きている。世界のすべてが展開されたものとして捉えられ、それを全体として俯瞰したのがパルメニデスの世界である。[2]

 ゼノンのパラドクスを知る人は多いが、それが正確に何を述べているかということになると専門家の間でも意見が分かれるほどで、現在でも哲学への憧れをかき立てるに十分な主題となっていて、好奇心の格好の対象であり続けている。運動に関わる彼のパラドクスは、運動自体の分割可能性、それを表現する線分の分割可能性、表現された運動についての論証が巧みに混同されることによって生じる。運動が分割可能なのか、運動表現が分割可能なのか、論証で使われる無限概念が適切なのか、これらの問題を丁寧に解きほぐしていけば、どこにも矛盾などないというのが標準的な解答である。[3]

 因果的でない数学を使って因果的な世界をどのように理解し、説明するかは何も問題を孕んでいないように見えながら、実は重要な問題を多く抱えていることがその後の2,000年以上にわたる知的な探求の中で次第に露呈されていくことになる。この過程は実に魅力的で、人間の好奇心を刺激し続けてきた。パルメニデス形而上学的な剛腕を振るって解決しようとしたのは自然の数学化と呼んでもいいような問題であり、ゼノンのパラドクスによって、それが論理的な問題だけでなく、無限分割可能性を通じた無限の問題をも含むことが明らかになった。その試みはガリレオによって再度なされ、数学を巧みに使うことによって実行され、ニュートン古典力学としてまとめ上げることになる。自然の数学化が引き起こす問題とその解決は数学研究そのものを大いに刺激しながら、現在もまだ続いている。

 

[1] 「ターレスの定理」と呼ばれる一群の命題はその具体的な姿である。

[2] 展開された世界とは絵巻物をすべて広げた世界であり、例えば、運動がその軌跡として表現される世界である。

[3] ゼノンのパラドクスの標準的な解決は解析学を使ったものだが、無限、無限小、極限等の概念が含む問題を鮮明にしようとすれば、パラドクスをSupertaskとして表現し直す必要があるかも知れない。