神仏習合:盆と正月

 正月に家々に迎え祭る神は年(歳)神。その起源は不明ですが、冬至から立春までの間、あの世から霊が訪れてきて、人々に幸福を与えてくれるという信仰に基づいています。稲作が広がるにつれて、稲はもっとも重視され、その成育過程を人間生活の1年に当てはめ、稲魂(いなだま)を育てる神を年神と考えるようになりました。また。近世になると、先祖の霊を万能の神とする日本的な祖霊信仰ができ、年神も祖霊の機能の一つとされるようになりました。

 民俗学では、正月は門松やしめ縄で歳神を迎え、それらを燃やした炎で見送る行事とされています。新年を祝って、家の門口などに飾られる「門松」は、その年の神を招くための目印であり、また、神が降りたときに宿られる場所(依代(よりしろ))を表しています。松、杉、椎(しい)、榊(さかき)などを用いていましたが、いつしか松を用いるようになり、そのことから門松と呼ばれるようになりました。

 円くて平たい、大小二個の餅を重ねたものは「鏡餅」。これは、豊作をもたらし五穀豊穣を守る年神へのお供えです。米から作られる餅は神の恵みによって授けられた賜物です。これを年神に供えることにより、感謝の気持ちを表すのです。

 正月に年明けを祝って飲む延命長寿の薬酒が「屠蘇」。正月に屠蘇を飲むようになったのは、中国では唐の時代から、日本では平安時代の初期からです。屠蘇は、みりんの中に山椒、桔梗、肉桂などの薬草をひたしたもので、これを飲むことにより邪気が払われ、寿命が延びるといわれ、新年の祝い膳には不可欠のものです。

 一方、お盆は日本で夏に行われる祖先の霊を祀る一連の行事で、日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事です。かつては太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われました。仏教用語の「盂蘭盆会」の省略形として「お盆」と呼ばれます。中国では道教を中心として旧暦の七月を「鬼月」とする風習がありました。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考えは道教のものです。

 お盆は『盂蘭盆経』(偽経)に説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説に由来し、元来は仏教行事ですが、唐代の道教の隆盛期に三元の一つの中元節の流行とともに儀礼の融合が進みました。盂蘭盆会は、「盂蘭盆経」で説かれている「親孝行の教え」に由来しています。盂蘭盆という言葉は、サンスクリット語で「逆さ吊り」という意味です。お釈迦様の十大弟子の一人に目連尊者という弟子がいました。目連が自分の神通力で亡くなった母親の姿を見たところ、母親は餓鬼の世界に堕ちており、逆さ吊りにされて飢えと渇きに苦しんでいました。お釈迦様に何とか母親を救いたいと相談したところ、自分の力は母親だけのために使うのではなく、同じ苦しみを持つすべての人を救う気持ちを持つように、と諭されたそうです。そこで、目連尊者は安居(雨期に行われる僧の修行)を終えた修行僧たちに、食べ物や飲み物、寝床などを捧げたところ、修行僧たちは大変喜び、その喜びが餓鬼の世界まで伝わり、母親が救われたということです。

 こうして、祖霊信仰、道教、仏教が入り混じり、習合し、盆と正月の行事が出来上がり、私たちの生活の中に組み込まれてきたことがわかります。