妙高(山)は「妙高(山)」でなければ腑に落ちず、深川は「深川」と呼ばれてこそ深川だと大抵の人は疑うことなく断言する筈です。確かに、もののもつ性質を表現するためにつけられたのが名前だと考えるなら、富士山は「富士山」でなければならないことになります。でも、名前はものにつけられ、そのものを指示するにも関わらず、そのものの本来の性質を表す必要はないのです。「猫」はネコを指しますが、ネコの性質ではありません。「Cat」も「猫」もネコの性質を反映したものではありません。イヌやネコの名前は一般名詞ですが、固有名詞の場合も同じことです。私の名前は固有名詞で、私と私の名前の関係は偶然的なものです。地名はつけられた街や地方の性質ではありませんし、山や海の名前も山や海の性質を表現しているという訳ではありません。正確に言えば、ものの名前は偶然につけられても、そのものの性質を表すようにつけられても、いずれでも構わない、ということになります。
固有名詞は、ある時、誰かによって命名され、それが因果的な変遷を経て現在に至っています。その過程が固有名詞の意味だと考えると、固有名詞は歴史的偶然とその後の因果系列の二つからなっていることがわかります。そんな観点から「深川」がいつ誰が命名し、どんな経緯を経て現在に至ったのか確認してみましょう。
徳川家康により天正18年(1590年)から開削が進められていた小名木川の北側を開拓したのが摂津出身の深川八郎右衛門。慶長元年(1596年)に深川村ができます。材木商人として財を成した紀伊国屋文左衛門も一時住み、曲亭馬琴がこの地で生まれ、松尾芭蕉は深川から旅立ちました。1878年東京15区の一つとして深川区ができました。1947年に城東区と合併し、現在の江東区となります。こんなところが「深川」の意味ということになりますが、北海道にも深川市があり、少々気になります。でも、江東区の深川とは何の関係もないというのが答えです。北海道の「深川」は東京深川から移住した開拓民に由来するという話を広めたのは故司馬遼太郎の紀行文『街道をゆく』第15巻「北海道の諸道」の記述です。彼は深川市を訪れ、深川市の人々の一部は東京の深川出身だと言われたのを思い出し、それを記したのです。あの司馬遼太郎が書いたのなら、多くの日本人は文句なく信じてしまいます。名前の因果的経緯の中に誤りが紛れ込んだということで、これは固有名詞の宿命のようなものです。
「徳川」では却下されたでしょうが、深川の名前は「堀川」でもよかったはずです。いずれでもなく、開拓を指揮した深川八郎右衛門に因んで命名され、それが様々な因果的な経緯を経て現在に至っています。命名は偶然的でも、その後の経緯は、その名前に意味を与え、名前と指示対象の間に切っても切れない縁があるかのような演出さえしているのです。つまり、経緯=歴史が偶然を必然に変える演出をしているのですが、その仕業は魔法としか言いようがありません。
ですから、深川は「深川」でなくてはならず、妙高(山)は「妙高(山)」と呼ばれなければならないと私たちは信じるのです。
*名詞が何を指示するかについての上述のような考えは、Causal theory of namesと呼ばれ、Saul Kripkeによって最初に唱えられたものに基づいています。