大乗仏教の誕生:部派仏教から見れば…

 一説によればブッダの死は紀元前380年。そこから部派仏教が成立するまでの歴史をスケッチしてみよう。ブッダが亡くなると、団結していた仏教教団はアショーカ王(B.C. 268~B.C.232)の時代に保守派と進歩派に分裂。その理由は、時代と共にブッダの頃の戒律が社会に適合しなくなり、仏教に対する解釈の相違が表出したため。ブッダの死後100年ほどして、ヴェーサーリーに700人ほどの僧侶が集まって仏典編纂会議(第二次結集)が行われた。その開催理由は、跋闍子(ヴリジプトラ)という比丘が、「前日に布施された塩を蓄えておいて食事に供してよい」、「昼食後にも一定時間内なら食事をしてよい」などの十項目にわたって、既存の戒律の緩和を訴えたためだった。この結集で、緩和は律(教団規則)に違反すると判断されたが、この判断に不満をもつ僧侶たちは新たな教団を形成した。それが大衆部という部派である。こうして、仏教教団は「上座部」と「大衆部」に分裂したのである(根本分裂)。

 根本分裂の後もさらに分裂し、ついに20もの部派に分かれる。この出家教団の仏教が小乗仏教(=部派仏教)で、アビダルマ仏教とも呼ばれる。分裂した中で最も有力な部派が「説一切有部(せついっさいうぶ)」。

 多くの部派に分かれたのは、もともとブッダが体系的な教理の説法をしなかったからだが、この分裂によって仏教の教理がさらに詳細に研究され、緻密な思索が行われることになる。部派ごとに経(経典)、律(戒律書)、論(論書)の三蔵が整理され、体系的な教義がつくられていく。だが、煩瑣な教義追求が優先され、やがてその教義は出家修行者にしかわからない難解なものに変わっていく。仏教には一神教のように異端を厳しく排斥する思想がない。だから、考え方の違いから起きる分裂は自由な思想を許すブッダの仏教の宿命でもある。多くの部派に分れたとはいえ、ブッダの教えである阿含経と戒律はまだ忠実に守られており、この時代に仏教の三蔵が成立する。   
 「三蔵」とは(1)仏教の基本的教理を述べた経蔵、(2)戒律の集大成である律蔵、(3)経典の注釈や基本教理の理論である論蔵、の三つのこと。ブッダの死後、仏教教団の事実上の指導者であったマハーカッサパ摩訶迦葉、まかかしょう)を中心に500人ほどの弟子が集まってブッダの教説を互いに確認し、編集する作業を行った。これが第1次結集。この時の結集で教法(ダンマ)はブッダに25年間近侍したアーナンダ(阿難、あなん)が主に誦出。教団の規律は戒律に造詣が深かったウパーリ(優波離、うぱり)が主に誦出した。漢訳仏典の多くの冒頭は「如是我聞(にょぜがもん)」(かくの如く我聞けり)で始まる。この「我」は25年近くブッダに近侍した記憶力抜群のアーナンダ。仏典がアーナンダの記憶に頼って編纂された故事に基づいている。三蔵は「一切経」あるいは「大蔵経」とも言われる。中国唐時代の僧玄奘三蔵法師として現在でも有名だが、玄奘が経、律、論の三蔵の知識をすべてもっていたからである。三蔵成立までに仏教教団は三回の結集を行っている。

 『阿毘達磨倶舎論』を著したのはヴァスバンドゥ(Vasubandhu, 世親、320~400頃)。略して『倶舎論』と呼ばれる。阿毘達磨(アビダルマ)とは「法について」という意味で、部派仏教はアビダルマ仏教とも言われる。『阿毘達磨倶舎論』には部派仏教の中で有力だった説一切有部の教理がまとめられている。日本の仏教学では「唯識3年、倶舎8年」と言われてきた。これは唯識学は3年で卒業できても、倶舎論を修学するには8年かかるという意味で、アビダルマの教理は複雑、難解であり、仏教のスコラ哲学とも言われている。

 その教理は極めて論理的で、単純明解な内容である。無味乾燥な論理の羅列に見えるが、2000年前の仏教徒が仏教をどのように捉えていたかを知ることができる。説一切有部の教理の概略だけ見てみよう。 
 説一切有部は「全てのものが存在する」と主張する。原始仏教はすべてを否定的に捉えるのに対し、この教理は全てのものが存在すると考える。そして、存在するものは法(ダルマ、Dharma)と呼ばれる。法は五位75法に分類される。五位とはすべての存在(ダルマ、法)を5つに分類したもので、色法、心王、心所有法(しんしょうほう、心作用)、心不相応行法(特に心とあい伴う関係にない法)、無為法(生滅変化しないもの)から成る。存在論と認識論の両方の分野をまとめて分類することによって整理した一覧表のようなもので、まとめると75種類(五位75法)となる。分類中心の理論はアリストテレスから近代の博物学までに見られるように、前経験科学的段階の知識の典型的な表現である。俱舎論もそのような知識体系であることがわかる。
 その一部を垣間見ると、無為法とは虚空(大空)のように生滅変化しない法(=もの、実在)のこと。択滅無為の択滅とは択力(ちゃくりょく)(=知恵の力)によって得られる煩悩の止滅=涅槃のことである。非択滅無為(ひちゃくめつむい)とは正しい智恵によらないダルマの止滅をいう。涅槃とは正しい智恵(択力)によるダルマの止滅と定義されるので非択滅無為とは涅槃の反対概念である。無為法以外は生滅変化するもの(有為法)である。虚空(空間、大気)は科学的に見れば変化している。本当は有為法に分類されるべきものであろうが、大気の成分は肉眼で捉えることはできない。観測手段を持たない古代仏教徒は虚空(大気)は不生不滅の無為法と考えたのだろう。ギリシャ哲学の元素に似ている。心王とは心の中心となるようなもので、現代では脳のことである。
 以上の全ての法を足し会わせると、全ての法=色法(11)+心王(1)+ 心所有法(46)+心不相応行法(14)+無為法(3)=75と合計75種の法に分類される。この75法のうち物質的なものは色法(11種)と、心王と虚空だけである。その他はすべて心と心作用によるものである。つまり、圧倒的に認識論が優位の分類となっている。75法の内72法が有為法(生滅変化するもの)で3法だけが無為法である。ほとんどの法が生滅変化する有為法であり、無常観が強調されている。ギリシャの原子論以来の不変のものを基礎にした世界観とは随分と違うことがわかる。すべては存在するが、その存在は生滅変化するのである。
 こうして、説一切有部の教理は心と心理作用を中心とした世界観であることがわかる。五位75法は独立して実在しており、「自性」(実体)を持つとされ、これが説一切有部という名前の由来になっている。この説は自己の心と心理作用から見た世界観であり、ブッダ原始仏教の伝統を受け継いでいる。心理作用について実体を有する実在と考えたところは古代思想の特徴である。そして、神格化された仏はどこにもいない点など、まだ大乗仏教のように十分に宗教化はされておらず、形而上学的、認識論的(普通は両者の相性は悪い)である。