君はカオスを見ることができるのか?

 「カオス」という言葉は流行語になったこともあり、今でもあちこちでよく使われている。「ケイオス」と言うと通じないのは、「バイルス」と同じで、「ウィルス」だと通じるのによく似ている。「アプリオリ」だと通じるのだが、「アプライオライ」と英語風に発音すると通じないのにも似ている。だから、「これはケイオティックだ」などと言わない方がいい。兎に角、20世紀後半から流行するこの言葉の意味は何だったのか。カオスはギリシャ神話に登場する原初神で、「大口を開けた」、「空虚な」を意味していた。では、君はそのカオスを光景として見ることができるのだろうか。
 カオスが混沌を意味していると言われて、成程とすぐ納得できる人はいないだろう。混沌と言われても、ピンとこないのは、わからないカオスを同じようにわからない混沌で置き換えたに過ぎないからである。混沌は見えそうで見えないし、これこそ混沌の見えだという例も見つからない。つまり、カオスを現象として知覚することはできず、想像するしかなく、想像したとしてもケイオティックで混沌としているだけなのである。君がカオスを見たかどうか断言できないとなれば、タイトルの問いには答えられない。だから、カオスは見るのではなく、カオスは知るものということになる。そこで、科学的な概念としてのカオスの起源の一つを振り返ってみよう。
 仮説とそこからの推論の例としてハエの人口動態について考えてみよう。仮説を効果的に適用し、それを験証することは、モデルをつくり、具体的に記述、説明、予測することによって行われる。実際の観察から、「ハエの個体数は前の年の個体数によって決まる」ことがわかったとしてみよう。この事実はNt+1 = F(Nt)と表現できる。t年の個体数Nt がt +1年の個体数Nt+1を決める関係Fが、t年の個体数に関してt+1年にR倍になるとすると、Nt+1 = RNtとなる。これは線型(形)の方程式で、Rの値によって個体数は異なる変化を描くことになる。だが、実際はハエの個体数が増えると次第に食物が減り、捕食される率も高くなり、単純な比例関係にはないことが窺える。そこで上の仮説を修正するために、Rの代わりに(R – bNt)という関数を選んでみよう。これは、係数bは集団が大きくなるにつれ、成長率が減少する割合を示している。前の式を書き換えると、Nt+1 = (R – bNt)Ntとなる。この式は非線型で、不思議なことにR = 3.570のとき、それまでの安定した周期的なサイクルからカオス的な振舞いに変わる(この式はロジスティック写像あるいはロジスティック方程式と呼ばれている)。この式は「Ntの値が一つ定まると、Nt+1の値も一つだけ定まるという意味で決定論的な式である」が、N0の値が僅かでも異なると、数世代後の個体数はすっかり異なってしまい、長期にわたっての正確な予測ができないことを示している。これが初期状態への鋭敏性といわれ、カオスのもつ特徴となっている。
 これはカオスの一例に過ぎないが、カオスの知覚ではなく、カオスを生み出す仕組みの表現になっている。このようなカオス発生の仕組みは様々にわかっている。私たちの知覚は何かを知覚することをもっぱら課題にしてきた。知覚するとは何かを知覚し、その何かを知ることを目指している。知覚は志向的であり、何かを知ることをターゲットにしているのだが、それが混沌であると、何を知るのかがわからなくなる。それを解決したのが上記のような捉え方である。つまり、カオスを知るとはカオスを発生させる仕組みを知ることなのである。
 カオスの知覚と言ったのでは哲学者の遊びのように聞こえる。だが、カオスの知覚体験の例として気象現象を考え、強力な低気圧の中での災害経験となれば現実味を帯びてくるのではないか。