イリス・アルビカンスの花の印象

 アヤメ科のイリス・アルビカンス(Iris albicans)はサウジアラビア~イエメン原産の多年草です。英語名のCemetery Irisは墓地に植えられてきたことに由来します。イリス・アルビカンスは最も古くから栽培されてきたアヤメ属の植物であると言われています。イスラム圏では墓地に植えられていたために、イスラム教徒の移動や移住によって欧米各国に持ち込まれました。

 イリス・アルビカンスはジャーマンアイリスの仲間ですから、墓地に植えられていたとはいえ、花の艶めかしさも十分持っています。さらに、画像からは奇怪な不安さえ感じられるます。ですから、私たちなら、イリス・アルビカンスを仏花にはしない筈です。

 

ベニカナメモチ(レッドロビン)の満開

 「ベニカナメモチ」は総称で、カナメモチの中でも紅色が強い個体を特にベニカナメモチと呼ぶようです。湾岸地域でよく見るレッドロビンはカナメモチとオオカナメモチの交配による品種です。カナメモチの中でも特に新芽が赤く美しいものを指しているようなのですが、学名として明記されている訳ではありません。

 カナメモチの中の紅色が強い個体をベニカナメモチと呼ぶのが通例になっていて、葉が赤いのは新葉のときだけなのもレッドロビンと同じです。この派手な見た目から日本の伝統的な庭や生垣には相応しくないとする人も確かにいます。若葉が赤いのは、まだ柔らかくて葉緑素が十分につくられていない若葉を紫外線から守る「アントシアニン」という赤い色素がつくられるからで、若葉を日差しから守るサングラスの役割をしています。

 ベニカナメモチの花はその赤い葉に比べると目立たないとはいえ、近づいてゆっくり眺めると、意外に美しく、白さが際立つ細密画風の花はなかなか魅力的です。とはいえ、画像のようにベニカナメモチが生い茂り、満開の花をつけていると、少々興ざめで、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なのかも知れません。

 

タブノキの雌花

 タブノキは北海道、青森、岩手を除いて全国に分布するクスノキ科の常緑樹。暖地の海岸沿いに多いが、公園や庭園に植栽されることもおおく、湾岸地域ではとてもポピュラーな樹木。また、日本書紀に登場するほど神事との関連が深く、「霊(たま)が宿る木」を意味する「タマノキ」から転訛したという説もある。

 タブノキは幹が真っすぐに伸び、樹高が最大30m、直径が3.5mにもなる。タブノキの開花は新葉の展開と同時期の4~5月頃。直径5ミリほどの黄緑色の小さな花が円錐状に群がって咲く。タブノキは雌雄同株であり、始めは花粉が目立たない雌花の性質を持つ。雌花の雌しべが退化すると、今度は花粉を出す雄花の性質を持つようになる(最後の画像)。その雄花が終わると一旦閉じた花が再度開き、膨らんだ子房(未熟な果実)が現れる。緑色の実は7~9月頃になると黒紫に熟す。

 

エノキの実

 エノキ(榎)はニレ科エノキ属の落葉高木。「榎」という漢字は道の脇の大樹が木陰を作るので、夏の木の意味の和字。丸い小さな実をつけ、秋に熟すと橙褐色になり、食べることができる。味は甘く、昔は子供のおやつだったようである(画像)。名前の由来は諸説あるが、秋にできる朱色の実は小鳥や森の生き物に人気が高く、「餌の木」からエノキとなったという説がある。

 エノキは生き物たちに人気が高く、ヤマトタマムシゴマダラチョウの食草となり、実はツグミなどの鳥の好物である。天然のエノキタケはエノキの切り株や枯木のほか、コナラやクヌギ、それにヤナギやミズナラなど様々な広葉樹に寄生するキノコで、キノコらしい広い傘とオレンジがかった黄色から茶色い色をしている。

 枝分かれが多く、大きな緑陰を作るため、各地で植栽され、その巨木が今日でも見られる。そのためか、エノキが花や実をつけることは想像しにくいのだが、新緑の葉に近づくと、花や新芽だけでなく、小さな実も見ることができる。

*エノキの漢字は「榎」で、これは日本で作られた国字です。江戸時代の一里塚には、木陰を提供するエノキがよく植えられました。例えば、二本榎通り(にほんえのきどおり)は港区高輪一丁目と高輪二丁目の間、および高輪三丁目を通る道の名前です。

*エノキは春に実をつけ、その実は秋に橙色に色づきます。実は鳥がよく食べ、そのフンから種子が撒かれることになります。ゴマダラチョウとアカボシゴマダラは幼虫期にはエノキの葉を食べることで知られています。

 

新緑に榎の実つきいのち萌え

新緑の中に榎の実が見えて

 

セキチクの花

 セキチク(石竹、China pink、Dianthus chinensis L.)はナデシコ科の園芸種。葉が竹に似ていることがこの名の由来。セキチクは中国原産で、万葉時代に渡来。ピンク、白、赤などの花色があります。

*万葉時代の日本では、「石竹」と書いて「なでしこ」と読み、カワラナデシコを指していました。セキチクはカラナデシコ(唐撫子)を指し、ヤマトナデシコ(大和撫子カワラナデシコ)に対応しています。中国産のセキチクが入った後、在来種をヤマトナデシコ外来種をカラナデシコと呼んで区別しました。

 

アカマツとクロマツの雄花

 アカマツクロマツの違いは何かと問われると、一瞬慌ててしまいます。でも、簡単な見分け方の一つは葉先に触ってみることです。アカマツの葉の先は手のひらで触っても、痛くありません。でも、クロマツの葉の先は手のひらで触ると、痛いのです。つまり、クロマツの葉はアカマツの葉よりも堅いのです。その違いは、アカマツは内陸に多く、クロマツは海岸に多く、生育環境の違いだと考えられます。強い潮風が吹いても生育できるように、クロマツの葉はアカマツの葉より堅いのです。

 葉の堅さの違いだけでなく、アカマツは幹全体が赤褐色で、葉が細く華奢なことから女松(めまつ、おんなまつ)とも呼ばれます。一方、クロマツは幹全体が灰黒褐色で、葉が太く力強い印象を与え、別名は男松(おまつ、おとこまつ)です。画像はアカマツクロマツの雄花ですが、やはりアカマツの雄花の方が柔らかい印象です。

アカマツの雄花

アカマツの雄花

クロマツの雄花

クロマツの雄花

 

月見草と宵待草、そしてマツヨイグサ

 ゴデチア、あるいはイロマツヨイグサについて記したばかりですが、すると、月見草と待宵草が気になるのは私だけではない筈です。

「三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草はよかった。富士には、月見草がよく似合う」(太宰治富嶽百景』)

 太宰は『竹取物語』を下敷きに富士と月見草を対峙させ、大きく俗な富士と小さくけなげな月見草を比べてみせたのですが、その月見草は黄色いマツヨイグサの一種だったようです。マツヨイグサでは『竹取物語』が消えてしまいます。でも、実際の月見草は金剛力草と言うイメージとは違って、上品な白い花で、儚げで、か弱いイメージの花。また、「金剛力草」は植物名ではなく、金剛力をもった草のことで、金剛草ではありません。

 ツキミソウ(月見草)はアカバナ科マツヨイグサ属に属するメキシコ原産で、江戸時代の末期に観賞用として日本に入ってきました。白い花を夕方から夜につけ、翌朝には萎んで、花びらはピンク色になるのだそうですが、私は見たことがありません。私が知っているのはヒルザキツキミソウという園芸種(画像)。ツキミソウが導入された時期に相前後して、他のマツヨイグサの仲間、マツヨイグサ、オオマツヨイグサ、メマツヨイグサなども導入され、新天地に来たツキミソウは他の仲間たちとの生存競争に負け、野生のツキミソウはほぼ見られなくなりました。そのためか、私は見たことがないのです。

 千葉県の銚子での儚いひと夏の恋を歌った竹下夢二の詩は、1912年に雑誌『少女』で発表された後、バイオリニストの多 忠亮(おおの ただすけ)により曲がつけられ、抒情歌「宵待草」として愛唱されました。「宵待草」のモチーフとなったのはマツヨイグサ(待宵草)。夢二の宵待草はマツヨイグサを指します。夢二はその間違いに気づき、訂正しようとしましたが、「宵待草」の方が抒情的で良いということで、そのままになったようです。確かに、「マツヨイグサ」より「ヨイマチグサ」の方がしっくりします。

 いわゆる月見草は、呼び名の通り、暗くなってから開花するマツヨイグサのことで、色んな種類があります。オオマツヨイグサはヨーロッパ経由で日本に入ってきました。高さは150㎝と大型。葉は長い披針形で、短毛が密生。花期は、6月から8月。花は径6,7㎝と大きく、萎んでも色は変わりません。太宰が『富嶽百景』で言及した月見草は、このオオマツヨイグサマツヨイグサと思われます。メマツヨイグサはオオマツヨイグサと生息環境が重複し、今ではずっと優勢。葉は長楕円形で先がとがり、表面にやや光沢があります。花期は7月から9月。花はやや小型で、萎むと、黄色か、わずかに赤くなります。マツヨイグサは、前の二種よりも小型。花期は5月から7月。花は萎むと、橙色になります。

 長々書いてきましたが、確かに「マツヨイグサ」より、「月見草」や「宵待草」の方が自然を愛で、自然を感じる姿を表現するのに適しているように見えます。それは文学的、美学的な感性レベルの話で、人と自然と文学の共同作業の結果です。でも、その正体はどれもマツヨイグサの仲間だったのです。

*画像はメマツヨイグサヒルザキツキミソウ