「山椒大夫」を見直す(2)

 さて、説経、浄瑠璃瞽女唄などの「さんせう太夫」と鷗外の「山椒大夫」はどのように違うのでしょうか。大胆に、直木賞芥川賞の違い、大衆文学と純文学の違い、中世的人間像と近代的人間像の違いと表現できても、どれも100%正しくはなさそうです。まずはそれ以上の違い、差があり、鴎外の作品が有名になることによって、説経の主張は忘れ去られてしまったというのが私の考えです。

 それを確認するために、まずは説経を説明しておきましょう。「説経」とはお坊さんが経典の意味を説いて聞かせるもので、「宿題を忘れて先生にセッキョウされた」という場合は「説教」ですが、「説教」も「説経」の意味で使われていました。「説経(教)師」は神仏の教えを説く人のことで、経文を説き聞かせる人と、節をつけて語る人の二通りがあります。後者は説経浄瑠璃と呼ばれ、平曲や謡曲の影響を受けて、歌謡化し、江戸初期に流行した大衆芸能です。「説経節」の「節」は浪花節の「節」と同じで、旋律を意味します。つまり、経文を説き聞かせるときに、リズムをつけたものなのです。

 「説経節」は仏教を広めるため、僧侶が伝説に脚色を加え、仏教の声楽を基礎とした音曲のことで、『平家物語』で有名な琵琶法師もここから生まれました。でも、説教節は仏教芸能から次第に離れ、世界観や思想の背景に仏教色を残しながらも、観客に感動、悲嘆、哀切を伝える「物語」が前面に押し出され、大衆演芸となって行きます。慈円の『愚管抄』で述べられた「冥顕観」が芸術として具体化され、世阿弥がそれを能として表現し、そこからさまざまな芸能形態が生まれて行きました。中世的な世界観である冥顕観が説経節浄瑠璃瞽女唄に引き継がれていったのです

 説経節は江戸時代の初期、寛永年間に関西で流行し、江戸でも流行りました。でも、同じ語り物芸能の義太夫節竹本義太夫近松門左衛門がコンビになり、『曽根崎心中』、『国性爺合戦』、『女殺油地獄』などが流行し、浄瑠璃はこの義太夫節をさし、説経節古浄瑠璃系と言われる)が爆発的に流行し、説経節はそれに押される形で、特に関西で勢いを失っていきました。

 「さんせう太夫」は荘園を統括する長者を指していて、そこで働く民は過酷な労働を強いられていました。鷗外はこの古い語り物を、その歴史性を残しながら、彼自身の言葉によって再構成し、歴史小説を生み出しました。鷗外がこの作品を発表したのは1915(大正4)年、いわば日本が近代国家としてスタートを切り、西南戦争などの国内の争いや日清・日露戦争などの他国との戦争も起きた激動の明治が終り、ようやく自国の遠い過去を振り返る余裕が生じたときでした。

 説経節の「さんせう太夫」の主人公は神仏の化身として讃えられる安寿ですが、鷗外は彼女を地上で行動する女性として描き、厨子王を彼女の願いを遂行する男性と位置付けました。そのような作品が生まれた経緯を辿ると、そこには鷗外の挫折がありました。軍医として国のために尽くさなければならないのに、小説を副業とすることは好ましくないという意見があり、鷗外は福岡の小倉に左遷されます。この左遷によって、鷗外は変わります。立身出世のことしか頭になかったエリートは左遷先で現地の人々と触れ合うのです。東京に戻ってからは陸軍軍医総監の役職に就き、結婚して家庭を持ちます。その後、友人の死を受け、初めて歴史小説を書き、その中で生まれたのが「山椒大夫」です。

 原作の「さんせう太夫」と「山椒大夫」は、既述のように随分と違います。鷗外は典拠との違いについて、自らの随筆で述べています。鷗外の好みに合わない部分に脚色を加え、その結果、(説経節では人々の涙を誘い、心を震わす)残酷なシーンは大幅にカットされたのです。

*説経、浄瑠璃瞽女唄などはYouTubeで実際に聴いてみて下さい。

 私の子供の頃の刷り込みや小学生時代の学習となれば、絵本、漫画、読経、浪花節、歌謡曲、民謡、そして青春時代の様々な音楽であり、それらが説経節を聴く際の背景を作っています。私の場合、特に読経、浪花節、民謡が説経節瞽女唄に繋がっています。演奏こそが説経節の「さんせう太夫」の命であり、聴くことによる感情移入と共感(悲哀、哀惜、悲嘆など)が演芸としての説経節を支えてきました。

 越後の盆踊歌であった松坂節と歌祭文(うたざいもん、祭りのときに奏上する文詞で、祝詞(のりと)や祭文)が結びついて生まれたのが「祭文松坂」です。祭文松坂は目の不自由な女性旅芸人の瞽女が門付をして唄ってきた祝唄です。越後の瞽女は米山を境にして、高田と長岡の二つがありました。長岡瞽女は山本ゴイ家が支配する近世的な家元制度であったのに対して、高田瞽女は親方が家を持って弟子を養い、親方の中から座元を選出するという、中世の芸能座の組織を守ってきました。

*実際の演奏は次のものを聴いてみて下さい。

江戸川区立図書館/デジタルアーカイブ 椿の里の瞽女唄ライブ13 祭文松坂 山椒太夫

https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Audio/1312305200/1312305200100140/gozeuta08/