「山椒大夫」を掘り起こす:せっかちな中間報告

 私の幼児の頃の刷り込みや小学生時代の学習となれば、絵本、漫画、読経、浪花節、歌謡曲、民謡、そして青春時代の様々な音楽であり、それらが説経節を聴く際の背景を作っています。私の場合、特に読経、浪花節、民謡が説経節瞽女唄に繋がっています。演奏こそが説経節の「山椒太夫」の命であり、聴くことによる感情移入(悲哀、哀惜、悲嘆など)が演芸としての説経節を支えてきました。

 越後の盆踊歌であった松坂節と歌祭文(うたざいもん、祭りのときに奏上する文詞で、祝詞(のりと)や祭文)が結びついて生まれたのが「祭文松坂」です。祭文松坂は目の不自由な女性旅芸人の瞽女が門付をして唄ってきた祝唄です。越後の瞽女は、米山を境に高田と長岡の二つが主流でした。長岡瞽女は山本ゴイ家が支配する近世的な家元制度であったのに対して、高田瞽女は親方が家を持って弟子を養い、親方の中から座元を選出するという、中世の芸能座の組織をまもってきました。

*実際の演奏は次のものを聴いてみて下さい。

江戸川区立図書館/デジタルアーカイブ 椿の里の瞽女唄ライブ13 祭文松坂 山椒太夫

https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Audio/1312305200/1312305200100140/gozeuta08/

 それにしても昔の説経節はどんなクドキとフシをもっていたのでしょうか。悲しい声のみで、涙を流して泣くばかりということから、浄瑠璃の声とは違っています。でも、当初は古浄瑠璃ともつながっていました。説経語りは享保年間には廃れてしまいますが、それは新たな浄瑠璃の大流行のせいだったのです。説経には「いたはしや」、「あらいたはしや」という言葉がいつも出てきて、そのたびに聞く者は胸をつまらせます。

 このように見てくると、説経節は小説の「山椒大夫」とは随分と異なります。小説は読むものであり、文字を通して内容を理解するものです。情報伝達という点で説経節と小説は音と文字の違いと言ってもいいほどに違っています。ですから、説経節と鷗外の作品が違うことは当たり前のことで、説経節「山椒太夫」を下敷きにしていても、二つは別物だと考えるべきなのです。小説の「山椒大夫」は鷗外独自の考えを述べたものです。

 実際、説経節「山椒太夫」には冥界と顕界が交錯する構造、今風には聖と俗の構造が基本にありますが、鷗外の「山椒大夫」にはそのようなものは何もありません。鷗外は説経節が唄う世界を小説として書き残したのではなく、まるで別物を描いたのです。

 説教は寺社の祝祭の日、主にその境内で語られ、古きものの消滅と新しきものの生誕を、語り物の世界に転移し、表現したものです。死と再生の反復が唄われる説経節の背景にあるのは、世界を冥と顕(聖と俗)とに分割することを基本原理とする伝統的世界観です。

 鷗外の物語の主題は姉の自己犠牲による弟と母の救済という強い倫理性です。安寿の自己犠牲という行為は彼女の自我の覚醒と一体となっています。安寿の聡明な自我と強靭な意志に基づく計画が、厨子王を彼女の代行者として、伝統的支配からの脱却と近代的世界への到達を成就させます。女性の「自己犠牲」と「自己主張」、そしてそれによって達成される救済は未来へと進む道を見いだす希望となっているのです。