久々の党首討論を聞いて

 党首たちの議論を聞きながら、今回のオリ・パラの開催意義は「特にない」、「ほぼない」といった曖昧日本語表現が浮かんできたのです。最初からパンデミックの下でのオリ・パラ開催の意義は誰も明言しない、できないと思っていましたが、実際その通りでした。人が言葉を操る意義は情報を伝達し、互いに理解し合うことですが、それとは真逆の、理解を妨げ、情報を隠すために言葉が使われていることが妙に目立つと感じたのは私だけではない筈です。言葉が諸刃の剣であることを多くの人が改めて実感したのではないでしょうか。

 そんな駆け引き、騙し合いにがっかりして、テレビの画像を切り替えると、「世界ふれあい街歩き」でアメリカ西海岸の吟遊詩人が即興で人々の気持ちを代弁する詩を作っていたのです。客から言葉を選んでもらい、客の表現したい事柄を即興で詩にして、それをタイプで打っていたのです。人々の気持ちを直接に詩にすることは言葉の存在意義の一つをものの見事に示していました。国会の中の言葉と吟遊詩人の言葉が同じ言語であるにも関わらず、まるで異なる用途で使われていて、そこには水と油ほどの違いがあったのです。

 そこで、テレビの画像を元に戻すと、吟遊詩人とは対極の言葉の遣り取りが続いていて、以前の暗澹たる気持ちに戻ってしまうしかありませんでした。そして、正しく伝えることも嘘をついて騙すことも、いずれも言葉がもつ重要な役割であることを、今更ながらと思いつつ、改めて確認したのです。そのことも含め、私にはやり切れない気持ちだけが残った久々の討論でした。