中高生のための哲学入門(14)

変化の歴史(10)

生命科学ギリシャからダーウィンまで

[異なる形態を生み出す進化]

 ギリシャの哲学者アナクシマンドロスは地球が歴史的に変化してきており、それに応じて地上の生命も多くの異なる形態をとったと主張しました。例えば、陸地がない初期の地球には魚しかいませんでしたが、陸地が現われると、海を去って陸上生活に適したものが出てきたと彼は考えました。エンペドクレスは2200年以上前に、既に進化の基本的考えをもち、個体差、競争、繁殖、遺伝を使って、生命現象の多様さを理解しようとしました。彼によれば、最初の地上の生命は各部分の組織的でない集まりに過ぎなく、それが競争を通じて次第に組織化されて行ったのです。彼は繁殖と遺伝が生命の進化と連続性に如何に重要かも認識していました。現存する生物は歴史を通じて生き残るために生存と繁殖に関して特別の性質をもっていなければなりません。エンペドクレスの考えは現代の進化論の考えに極めてよく似ています。これは古代の原子論が現代の原子論に似ていることと類似しています。

 アリストテレスは地上の生命を理解するためにさまざまな考えを寄せ集め、動物を階層的に分類しました。彼の分類によると、人間はその最上位に位置します。その下に胎生の動物、さらにその下に卵生の動物が続きます。最下位には自然発生するダニの類がいます。この階層観は人間が他の動物より優れ、より重要であるという信念につながったのですが、1800年代の「自然の階梯(Scala Naturae)」という考えにもつながっています。この階層に基づく進化のモデルは私たちの進化理解を助けるどころか、大きな誤解や誤りを生み出してきました。

 自然の中の動物に対するアリストテレスの洞察は多くの解剖学的特徴の保存や消失の記録を生み出しました。彼は幾つかの解剖学的特徴がもつ機能を認識しています。例えば、鋭い門歯は食物を噛み切るために、平らな臼歯は磨り潰すためにあります。でも、そのような機能は予め定められた目的のために現われるのではありません。そうではなく、現われた後で解剖学的特徴は有用か否かが決まります。それが有用なら、それは保存されます。新しい特徴が役に立たなければ、それはなくなります。

[教会による進化思想の抑圧]

 ギリシャ時代には地球や生命の歴史についての関心が既に生まれていましたが、それらに関する統一的な説明はまだなされていませんでした。どのようにして地球や生命が生まれてきたかの自然の過程を理解する努力は中世でも中断されたままでした。ルネッサンスと共にこの関心は再燃します。聖書によれば、地球は神によってつくられ、宇宙の中心に置かれています。4世紀から17世紀まで多くの神学者は地球の年齢は5000年から8000年位だと推定していました。この短い間に神が人間を罰するために大洪水を起こしたと考えられていました。この時代、教会は地球と生命の自然誌(natural history)の追求を教義への挑戦と捉えていました。

[化石受容の意味]

 18世紀初頭、自然哲学者はまだ人間理性に対する教会の制約と戦っていました。その頃には化石が多く発掘され、それらに対する教会の説明に対する疑念が高まりま。ステノ(Nicholas Steno, 1638-1686)は1696年に化石がかつて地上に棲んでいた生物の遺骸であることを示しました。これはそれまでの化石の説明を放逐することになりました。化石が絶滅した有機体の遺骸であるという認識は二つの説明を生み出すことになります。

 

(1)化石は特別な創造の一部であり、多くの生物種が消えた。

(2)生物種は時間と共に変化する。

 

いずれの説明であれ、宗教と自然史は両立することが困難になってきたのです。

 化石に対する態度の変化に基づき、18世紀には進化が実際に起こったという考えが優勢になって行きます。18世紀の進化主義は種が時間と共に変化したことを主張しましたが、足りないものももっていました。例えば、多くの化石が存在するにもかかわらず、それらを時間的に整列できる明確な地質学がありませんでした。化石に基づいた進化の理論にとって、いつある生命形態が他の形態との関係で地上に登場したかを決めることは決定的に重要なことだったのです。

 では、進化という考えはどのように受容されたのでしょうか。宗教的な教えとの両立は次のように考えられました。進化は既に決められた仕様にしたがって展開される過程であり、その仕様はデザイナーである神によって予め与えられたものです。種を生み出し、変化させる自然の手段を述べる理論がまだない状態では、その手段を与えるデザイナーが必要でした。時計職人がすばらしい作品をつくるように、神はすべての生き物に有用な適応をデザインしました。

 生命についてのどんな理論も地球に関する物理理論と両立するものでなければなりません。18世紀までの地球に関するさまざまな理論は聖書の説明や創造と天変地異に基づいていました。不幸なことに、そのような理論は経験的な証拠を欠いていました。でも、18世紀から19世紀にかけ、「長い歴史をもち、常に変化する地球」という考えが科学者の想像力を喚起し始めました。

 この時代に大きな影響力をもったのはフランスの博物学者ビュフォン(Georges Louis Leclerc Compte de Buffon, 1707-1788)でした。彼が書いた『自然史(Historie Naturelle)』は膨大なものでした。その中で彼は自然の力によって次第に変化する地球という考えを推し進めました。教会からの圧力で教義との両立を余儀なくされましたが、多くの地質学者に新しい展開を示唆しました。

[進化思想の刺激としての化石]

 地球の歴史についての科学的理解は化石の説明から出てきました。地層の中の化石は二つの革命的理解を明らかにしたのです。

 

(1)地球の岩石は地質の年代の中で形成された。

(2)生命は地上にさまざまな形態で、それぞれの時代に登場した。

 

化石研究は古代ギリシャのクセノパネス(Xenophanes, 576-490 BC)にまで遡ります。彼は変化する地球という考えを支持するために化石を利用した最初の自然哲学者でした。彼は内陸や山で見つかる貝や魚の化石を観察しました。そして、陸と海が過去に何度も交代し、それはこれからも続くという彼の説明が生まれたのです。アリストテレスは天体の影響が化石を岩石の奥深くにつくったという奇妙な考えをもっていました。

 ルネッサンスの科学者も化石研究を再開します。教会側はこれに対抗して教義と化石の両立する解釈を必要としました。それは、例えば、次のような解釈でした。

 

(1)化石は種から岩石の内部で成長した。

(2)化石は神の創造の失敗作だった。

(3)化石は地球の真の歴史についての私たちの理解を欺くために悪魔が仕組んだトリックである。

(4)化石は大洪水で殺された罪人が残したものである。

(5)化石は地球上に今でも存在している有機体の残したものだが、その有機体はまだ発見されていないだけである。

 

(問)上述の化石の解釈がみな誤っていることを説明しなさい。

 

 ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci, 1452-1519)は自然の過程を通じてどのように化石がつくられるか述べています。彼は貝の遺骸が陸に近い浅瀬の沈殿物の中に保存されることを記しています。また、陸と海が変化し、海底が陸地になり、そのため貝殻が陸で発見されることも記しています。

 1695年ステノは化石の構造を詳細に解剖しました。彼の印象深い研究によって、化石が有機的な起源をもつことに反対することは困難になります。こうして化石に対する近代的な理解が広く受け入れられることになり、化石が昔生きていた有機体の遺骸であることが確立されました。

[ハットンによる進化の時間]

 啓蒙主義の伝統をもつスコットランドの科学者ハットン(James Hutton, 1726-1797)は1795年刊行の『地球の理論(Theory of the Earth, with Proofs and Illustrations )』によって近代地質学を確立しました。彼の地質学は革命的ですが、同時に問題も引き起こしました。彼は聖書の説明と地質学的な観察を和解させようとしてうまく行かなかった理論をことごとく批判しました。ハットンは神が宇宙と地球をデザインしたことを信じていましたが、文字通りの創造という聖書理解から離れて考察を進めました。

 創造説に適合しない多くの証拠を彼は無視できませんでした。天変地異による地球変化の説明の代わりに、ハットンは地球が僅かな変化を恒常的に蓄積してきたと推理しました。火山、地震、浸食、堆積といった観察できる地質学的な過程が地球上の変化を引き起こしてきました。長い年月をかけて、それら変化が蓄積し、大きな変化となりました。そして、ハットンは地球が周期的な変化を繰り返しながら現在に至っていると考えました。

 ハットンの連続的変化の理論は焦点が定まり、多くの経験的データとも合っていたため人々に受け入れられました。彼は自ら進化の概念を取り上げませんでしたが、その理論は地球が古いものだということを示唆していました。ですから、彼の地質学は生物学者に地球には生物進化を可能にする十分な時間があることを示してくれました。 

 20世紀以前では進化の証拠は岩石中の化石の発見に限られていました。それらの外観だけからでも生物学者なら生命が現在の姿になるまでに多くの変化を受けてきたと考えるでしょう。でも、それらの変化の道筋を辿る方法がありませんでした。進化が起こったのであれば、岩石の中にその道筋を辿ることができなければなりません。スミス(William Smith, 1769-1839)がその鍵を発見しました。

 運河をつくっていたスミスは動物相の継起(faunal succession)という考えを確立しました。スミスによれば、化石は一定の順序をもつ系列で岩石の中に存在します。彼は自らの研究から継起のパターンを見出しました。あるタイプの化石は別のタイプの化石に比べて特定の仕方で存在し,それが別の地域でも見られました。彼が見出したものは次のようにまとめられます。

 

(1)特定の地質学的時間の間につくられた岩石は、それに含まれる化石の集まりによって特定できる。各岩石層は地質の歴史の異なる事柄を表している。各堆積層がつくられる場合、そこにはその時代に生きていた動植物の遺骸が保存される。この発見から相対的な日付の技術、地質学的時間の設定が発展することになる。化石を使って、地質学者はある岩石の形成が他のものより古いかどうかを証明できるようになった。

(2)化石が時間とともに変わることから、生命が進化するという考えを無視することはできなくなった。この考えによれば、化石中の生き物の種類はある形態から別の形態へと生命が進化したことを表している。

 

(問)化石と地質の関係はどのように考えられていましたか。