Bさんが考えた偏見や差別

 Bさんによれば、『日本書紀』にハンセン病の記録がある。松本清張の『砂の器』には「放浪らい」の姿が描かれてる。第二次大戦後も「らい予防法」によって強制隔離政策が継続された。療養所で暮らす元患者らの努力等によって、「らい予防法」は1996年に廃止され、2001年に同法による国家賠償請求が認められた。1873年ノルウェーのハンセン医師が「らい菌」を発見。1943年には米国で「プロミン」がハンセン病治療に有効であることが確認され、治療薬の開発が進み、1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法として勧告。今ではハンセン病は完全に治る病気になっている。Bさんは今回の差別や偏見とハンセン病の場合を比べてみたくなった。

 新型コロナウイルス感染症についても偏見、差別があるというニュースを聞きながら、感染したとわかった人には、自主隔離を丁寧にやってもらう必要があるし、感染して抗体ができた人にはコロナ流行の第2波、第3波が来たときに、医療を担ったり物資を運んだりしてもらわなければならないとBさんは思っている。抗体を持っていれば、感染の危険性が低下し、仲間であるという絆が生まれると考えることができる。

 ハンセン病のときに犯した過ちから、私たちは何を学んだのかを考えながら、Bさんはハンセン病HIV新型コロナウイルス感染症とは異なると直感した。誰もインフルエンザについてハンセン病HIVのように恐れることはない。その主な理由はワクチンの存在である。病気がコントロールできることと、病気に対する恐れとは微妙に違う。私たちは一くくりに偏見と呼ぶのだが、どの病気もそれぞれの歴史や特徴、そして人に対する異なる影響をもっている。病気は怖いものという大雑把な反応では正しい行為は導き出せない。社会的距離についても、ワクチンが利用可能になる前と後とでは随分違ったものになるだろう。

 疾病についての昔の対策と今の対策は異なる。社会的距離とワクチン接種、偏見と差別による防護政策、効率と経済を満たすワクチン等々、人は何とも複雑で、感染症に対する私たちの対応は知識と技術によってこれからも翻弄されていくのだろう。ハンセン病HIVへの差別や偏見の中には人の本能的な防護も含まれていることを考えれば、Bさんはまとめることができない反応こそ感染症への私たち人間の姿だと思うしかなかった。