ハコベの花たち

 「ハコベ」と「ハコベラ」の違いは古い名前か新しい名前かの差で、ハコベの古い名前がハコベラ。また、一般的に「ハコベ」はコハコベを指すことが多く、春の七草ハコベはこのコハコベです。また、ミドリハコベという似た植物もあります。コハコベ、ミドリハコベの総称がハコベと呼ばれるという記述もあり、そうなると、春の七草はコハコベかミドリハコベということになります。

 そのコハコベナデシコハコベ属の越年草。ヨーロッパ原産で、道端や畑に自生しています。葉野菜として食用にされていて、鳥類が大好きな草で、ニワトリの餌などになることもありました。ミドリハコベナデシコハコベ属の越年草。コハコベ外来種で茎が暗紫色、ミドリハコベは在来種で緑色が強い(となると、画像は茎の色からミドリハコベと思われます)。

 どうもハコベの分類は厄介で、正直のところ私にはお手上げです。蛇足ながら、学名はミドリハコベStellaria neglecta)、コハコベStellaria media)です。さらに、ウシハコベ、イヌハコベなどもあり、老人には小さなハコベは実に見分けにくいのです。

石田波郷 はこべらや 焦土のいろの 雀ども 

昨年の3月11日の「天声人語」には「1945年3月10日の東京大空襲で義母らを失った波郷は、翌年に上京してこの句を詠んだ。」とあります。当時住んだ現在の江東区一帯は焼き尽くされた大地が広がり、ハコベが花をつけていました。その時の光景が上の句です。石田波郷は大正二年(1913)松山市に生まれ、戦後の昭和21年から12年間、砂町にある妻あき子の実家(城東区北砂町、現江東区北砂)で暮らし、下町の風情や闘病中の句を詠みました。