赤とんぼ雑感

 秋の陽光の中でアキアカネ(秋茜)の姿が目立ち出しています。トンボ科アカネ属のアキアカネは俗に「赤とんぼ」と呼ばれてきましたが、赤くなるのは成熟したオスだけで、未成熟のオスやメスは黄色っぽい色をしています。赤い色は婚姻色で、成熟したオスであることのアピールだと考えられてきました。でも、還元型オモクローム色素(赤色の色素)を多く持つことは縄張りを守る際に受ける紫外線による酸化ストレスを軽減するためという説も出ています。

 ところで、三木露風作詞の「赤とんぼ」(大正10年発表、作曲山田耕作)の詞の内容は露風自身の子供の頃の思い出を書いたものと言われています。

 

夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か

山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろし

十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた

夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先

 

 ずっと気になっていたのが「夕焼け小焼け」の「小焼け」の意味。「こやけ」は語調を整えるために添えられたもので夕焼けに同じというのが普通の解釈です。文部省唱歌として有名な「夕焼け小焼け」(作詞中村雨紅、作曲草川信)にも「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる」と詠われています。科学的には、太陽が沈むときに空が赤く染まる現象が「夕焼け」で、「小焼け」は沈んだ太陽に照らされた空がもう一度赤くなることだと言われています。

 さて、露風が5歳の時に両親が離婚し、彼は子守り奉公の姐やに育てられ、その時の記憶を歌にしたものです。ですから、「おわれてみたのは」は「追われてみたのは」ではなく、「(背)負われて見たのは」で、姐やにおんぶされ、肩越しに見た夕焼けなのです。5歳でおんぶは考えにくいのですが、私にもおんぶの記憶があります。でも、今の子供たちにはおんぶの記憶はほぼないようです。露風少年の姐やは数えの15歳で嫁に行き、姐やを通じて聞いていた母の消息も途絶えたのです。これでは文部省唱歌の歌詞としては適切ではないためか、文部省唱歌の「赤とんぼ」は別にあります。