故郷と旅:カントと芭蕉

 「故」とは、ふるい、むかしの「故事」、「故実」を意味しています。さらに、「故郷」や、「故障」、「事故」も意味しています。「故意」、「故人」といった意味もあります。よく使われる「何故」にも登場します。「郷」もふるさと、生まれたところのことですから、「故郷」がふるさとを意味していることはほぼ自明です。
 「故郷」(こきょう、原題:故鄕)は魯迅の代表作ともいえる短編小説の一つですが、「ふるさと」を訳すと、Hometown、Pueblo natal、Ville natale、Heimat等々。中国語だと、故乡;自己生长的土地(自分の生まれ育った土地、one’s native land)。さらに、英語にはbirthplace; homeland; home; a place dear to one's heart; one's spiritual homeなどがあります。
  故郷(こきょう)は「生家、生まれた土地、生まれ故郷」から「自分の土地、子供時代を過ごした場所」へと広がり、「記憶の中の生れた環境、私の生まれ育った文脈」などへと拡散していきます。こんな字句の詮索をしていても何もわかりません。「ふるさと」はとても厄介な概念で、それに対して民俗学の貢献など何とも物足りません。
 カリーニングラードリトアニアポーランドに挟まれたロシアの飛び地。ここはかつてのドイツ騎士団領で、19世紀にドイツを統一に導いたプロイセン王国揺籃の地です。ロシアのウクライナ侵攻によって、多くの人の関心が集まっています。同名の州都はかつてケーニヒスベルク(Königsberg、ドイツ語で「王の山」)と呼ばれ、哲学者カントが終生一歩も出なかった都市であり、プロイセン公国プロイセン王国の首都でした。故郷を一歩も出なかったカントは偏狭な精神の持ち主とは程遠く、物質、精神、世界について思いを巡らしました。
 人生とは旅人のようなものだと力説したのが芭蕉で、彼はカントと違って旅を重視しました。『おくのほそ道』の序文は「月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)きかふ年もまた旅人(たびびと)なり。舟の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふるものは、日々(ひび)旅(たび)にして旅(たび)を栖(すみか)とす。」で、旅こそが人生であると述べています。
 カントと芭蕉に「あなたにとって旅とは何か、ふるさととは何か」と尋ねてみたくなります。人生が旅であることを認めれば、旅に出ることがふるさとを出ることに繋がっています。旅に出なかったカントでも彼なりの心の旅をしていたのであれば、それは芭蕉の心身の旅と重なることになります。
魯迅の「故郷」(佐藤春夫訳)は青空文庫にあり、簡単に読めます。