私にとっての野菊

 これまでキクについて様々記してきました。私には何とも苦手な対象で、サクラの方がずっと気楽に付き合える気がしてなりません。例えば、野菊の中の端にあるのがボロギク。パイオニア植物のダンドボロギク(段戸襤褸菊)の英名はfire weed。その意味は「山火事の後、他の植物よりも早く生える雑草」。ノボロギク(野襤褸菊)も同じ帰化植物で、共に花の後に真っ白な綿毛をつけます(画像)。いずれも花びらのない黄色い花と、花穂の下の方に黒いギザギザのような小さい受け皿部分があるのが特徴。

 菊も桜も日本人には国花に近いのですが、二つの違いを考え出すと、途端に厄介なことになります。「野菊の如き君なりき」は1955年に公開された木下惠介監督・脚本の映画で、原作は伊藤左千夫の『野菊の墓』(底本:「日本文学全集別巻1 現代名作集」河出書房、1969、初出「ホトトギス」1906(明治39)年1月)。「この野菊は一体どんなキクなのか」というのが私の単純な疑問(蛇足ながら、松田聖子主演の映画「野菊の墓」が1981年に公開され、山口百恵も「野菊の墓」を歌っています)。

 まずは、映画のあらすじ。「政夫と民子はいとこ同士で、政夫が15、民子が17のとき、二人に恋が芽生える。だが、二人の思いは遂げられず、政夫は町の中学へ、民子は強いられ嫁いでいく。数年後、帰省した政夫は、民子が自分の写真と手紙を胸に死んでいったと知る。」明治時代の信州の山河を背景に、身分の違いゆえに、叶わず散った少年と年上の少女の悲恋が73歳になった老人の回想形式で映画は進みます。

 一般にノギクと呼ばれる多くのものはヨメナノコンギクで、本当のキクの仲間ではありません。野生のキクの花色は白や黄色が多く、花にはキク特有の芳香が強くあります。本来のキクとなれば、丹精こめて栽培され、菊花展に出品され、菊人形となり、「⁠菊の御紋章」につながります。抒情的過ぎる小説(と映画)のためか、ノギクはか弱く、儚い印象を与えるのですが、山野のどこであれ、実は逞しく、野生的なのがノギク。ノコンギクヨメナとそっくりで、野性のキクの特徴として生命力に満ちています。『野菊の墓』は江戸川の矢切の渡しに近い農村が舞台。民子が政夫をリンドウ(竜胆)のようだと言っていることから、少年が見ていたのは(リンドウの花に似た)ノコンギクではないのかというのが私の勝手な推測。

 小説や映画の「野菊」の種類の特定がままならず、ぼんやりしたままなのは「野薔薇」によく似ています。ノイバラ(野茨)が日本の野生のバラであり、ノコンギクが日本の野生のキクであり、それらが野生のバラやキクの代表であるという事情はとてもよく似ています。高貴なバラやキクと、野生のバラやキクとは共に人と植物の込み入ったしがらみを見事に表しています。

ノコンギクヨメナはルリヒナギク(画像)によく似ています。

ノボロギク

ノコンギク

ルリヒナギク