コロナ以前の夢:綺麗なごみと国立公園、そして観光

 コロナ感染症蔓延以前の状況について以前書いたものを読み直してみました。今から見ると、夢の世界の話のように聞こえます。「人の夢」がもつ本性をうまく表していて、夢の特徴がよくわかると思えてなりません。夢にはすばらしさと危うさ、脆さが同居し、それがどちらに転ぶかわからないのが正に夢の本質なのでしょう。

 

 日本政府観光局(JNTO)は、海外から日本へ観光客を呼び込むための国の機関で、海外からの訪日旅行者(訪日外国人、インバウンド)を誘致する活動を行う独立行政法人。現在は世界14都市に海外事務所を設置し、外国人旅行者受け入れ体制の整備、ビジネスイベントの誘致、ビジット・ジャパン事業の推進などを行っています。インバウンドの観光客の目覚ましい増加とオリンピック・パラリンピックの開催は観光に携わる人々、組織を浮足立たせるほどで、観光より重要な外国人労働者や移民の話題を背後に隠してしまっています。

 観光学には「ビジネスとしての観光」、「地域社会における観光」、「文化現象としての観光」の三分野があると言われます。「ビジネスとしての観光」では「経営」の視点から、「地域社会における観光」はまちづくりや建物がもつ役割といった視点から、「文化現象としての観光」は観光と文化の視点から考えることになっています。

 そんな中で日本は「観光立国」を掲げ、3,000万人の外国人観光客を迎え入れようとしています。これは経済的に重要な目標である反面、迎える側の一般市民には心配な面が多いのです。観光産業でお金を稼ぐことは大切ですが、地域の人すべてが観光産業に従事しているわけではありません。観光以外の業種の人々と摩擦を起こさず、観光産業を持続的に成り立たせていくための方法など誰にもわかっていません。

 観光業界の中でもホテル・旅館業界に大きな変化が起きていますが、特に「民泊」(戸建住宅や集合住宅などの民家の空き家や空室を宿泊用に貸し出す業態)については旅館業界からの強い反対がある一方、これまで宿泊業には関わってこなかった不動産仲介事業者などからも遊休資産の活用法として取り組む動きが出てきています。でも、私のマンションを含め、都内のマンションでは民泊反対が強く叫ばれています。また、安価で手軽なインターネットでの旅行予約サービスの普及、そしてLCCの普及は、従来の旅行代理店の存在意義を問う状況をつくり出しています。

 巡礼、探検、登山、冨士講、LCC、クルージング、修学旅行、海外旅行、バックパッカー、温泉、湯治といった言葉を挙げると、それらが各時代、各地域で人々に旅を動機づける流行を生み出してきたことがわかります。社会の流行を生み出す人が一番強く、その抜きん出たアイデアによって圧倒的に利益を独占できます。次の段階は、それを政策化、組織化して広める役所の仕事です。その役所の施策の情報にいち早く飛びつき、それを具体化するのが地方の行政組織です。これは妙高市を含む地方都市がこれまで中央の役所に対して懸命に行ってきたことです。他の自治体より一歩でも早く具体的なプランを知り、それを練り上げ、できれば多くの補助金を受けること、それが市長や市役所が行う重要な仕事でした。ここには自らの夢や希望の余地がほとんどないのですが、それが現実であり、地方都市は中央官庁に従うしかない構図が長い間に渡って維持されてきたのです。

 最近のインバウンド政策についても、国の政策がもっぱら優先し、地方の政策など見えてこないのですが、それは地方が頑張っていることを否定するものではありません。国立公園を含む観光地として妙高市にできることは何でしょうか。自らが流行を生み出せるほどの企画やアイデアがあればそれに越したことはないのですが、それは流行歌手を生むのに似て誰にも簡単に予測できるものではありません。国の方針、施策に関しては市長や市役所の粘り強い対応に信頼を置いて任せておきながら、私たちは市民レベルで何ができるか考えるべきなのでしょう。というのも、市役所は意外に市民には冷たく、市民の意見は丁寧に無視されるのが普通なのですから。

 そんな中で、妙高市民が独自に実行できそうなこととなれば、頑固一徹、正直一筋に、本物を変えない活動と言うことになります。実業に近い観光となれば、宣伝と通知、集団と個人、開発と保全に関して、前者を優先することになりますし、これからもそれは変わりません。そんな慣習や定石を無視して、個人レベルで簡単にできることから始めてみるしかありません。それは、既述のごみのことを思い出すなら、国立公園内では、レジ袋を一切使わない、徹底して清掃を行う、といった簡単なことを実践することです。ごみは必要悪ですが、せめて綺麗なごみを出すようにしようというのが私たちにまずできる些細な試みです。それがさらに進んで、ペットボトルやビニール製品にまで広がるともっといいでしょう。また、観光案内を徹底して統一、市役所や観光局のFacebookを多言語化、窓口としてビジターセンターを一本化し、その対応を多言語化することです。たったこれだけのことで、国立公園内のごみは綺麗なごみに変わり、リサイクルが可能になり、インバウンドの旅行者が無理なく観光を楽しめることになります。大したお金はかかりません。これは子供の夢のようですが、それが強みでもあるのです。唯一必要なのは市民の僅かな協力だけで、市長や市役所が気づくのは後で一向に構わないのです。

 

 これがかつての私の夢の話ですが、その夢はコロナ後にどうなるのか、私には夢のまた夢になるとしか思えないのです。とはいえ、それでも「夢追い」が続くのは、私たち個人も行政も同じことで、正に人の性(さが)で、人は「夢を追い、ゴミを出す」のです。