古典的世界観をつくる因果性、確定性、連続性(スケッチ)

 私たちが住んでいる世界は古典的な前提が成り立っている世界です。古典的世界は自明で当たり前の世界で、疑われることがない三つの原理からなる世界です。白を黒と言うと、誰もが驚きますが、白を白と言っても誰も驚きません。そんな驚きのない世界が古典的世界で、驚きがない、それゆえ退屈な世界は因果的、確定的、連続的な出来事からなっています。
 ここでは古典的世界観の基本原理それぞれの詳しい説明はしませんが、日常生活では疑うことも稀な、自明な原理ということになっています。まず、古典的世界観の原理は古典力学の基本原理と同じです。つまり、古典的世界観はとても数学的で、それゆえ明解なのです。古典力学が前提にする自然に関する形而上学的原理が古典的世界観なのです。現象が原因と結果の出来事からなり、運動変化が連続的で、対象の状態はいつでもどこでも確定している、これらが因果性、連続性、確定性の簡単な内容で、とてもきっぱりしています。宇宙全体はその始まりを除いては連続的と想定できても、力学の基本モデルとしてよく登場する素過程はそもそもこの世界には実在しないゆえ、普通の物理過程には始まり、終わりのいずれかが必ず存在します。このような局所的な連続性の多数存在する世界では確率的なチャンスの存在が可能となりますが、どこまでも途切れることなく連続する世界ではチャンスはあり得ません。ですから、ラプラスの描く世界にチャンスはないのです。
 不連続な世界で容認できる反復の存在はコイン投げ、規則的な時間的変化、世代交代等に見出すことができます。何度もコインを投げる、季節が繰り返す、世代交代による生物集団の維持等、反復を前提にした現象の理解は世界のどこにでも見られる平凡な規則性です。物語という因果的なものをその根幹において支えているのが反復の存在なのです。反復関連の事柄と生命現象を幾つか比較すればわかるように、因果的な過程以外の生命現象の特徴が下のように浮かび上がってきます。

反復の存在-世代交代の存在
反復的なコイン投げ-集団内の生殖活動
結果のランダム性-任意交配、無作為抽出
分布や頻度の規則性-1対1の性比、遺伝の法則

 古典的世界観が成り立つための物理世界に関する基本的な前提が三つあり、それらが因果性、確定性、連続性だと述べました。古典的世界観にはこのほかに時間、空間に関する幾何学的前提があります。瞬間と地点が点で、時間と空間が線や図形で表現されます。物理世界の変化だけでなく、神話や物語の最も基本的な構図も、その変化の仕方はいずれも因果的です。物理学における単一の因果過程としての素過程(elementary process)のような因果過程のモデルから、ドラマの複雑なシナリオの展開に至るまで、実に多様な歴史的変化を含んでいるのが因果的変化です。出来事の系列が因果的であることが現象世界の基本的構図なのです。
 物体の物理量が私たちの実験や観察とは独立にいつでも無条件に確定しているというのが確定性の最も基本的な姿であり、今の自分の体重がわからなくても、自分の体重がこの瞬間にある特定の値をもっていることを誰も疑いません。基本的な物理量に限らず、どんな出来事、現象に登場する対象もその物理的な性質は確定しているとみなされ、拡大して使われているのが確定性の原理です。でも、量子力学におけるハイゼンベルク不確定性原理はこれに反する原理です。
 また、現象が突然に生じたり、消えたりせず、変化が連続的であることが連続性です。力学的なモデルは通常始まりも終わりもありません。コイン投げモデルのスタートは物理的な理由でなく、単にそこから始めるに過ぎませんし、地面に落ちて表か裏が出て終わりというのも恣意的なものです。
 これら三つの原理が古典論理と通常の言語規則のもとに組み合されると、その結果として決定論的な世界像が手に入ることになります。その厳格な例が古典力学です。それゆえ、古典力学決定論的な主張は科学革命の成功として、さらには人間理性の勝利として、世界の出来事は原理上合理的に決定可能であると宣言されたのでした。ラプラスの魔物は世界のある時点での状態を知ることができるなら、過去も未来もすべて含めていつの時点での世界の状態も計算可能であると豪語しました。そして、これが世界は決定論的だというラプラス流の認識版の表現なのです。
 このようなきっぱりした、勇ましい結論は何かが誇張され、そこから誤った結論に至ったと考える方が無難です。古典的世界観は完全な決定論を物理世界に関して主張するもので、それは正しくないというのが今では正しいのです。そこで、「決定論的な古典的世界観」に風穴をあけるために利用できるものとして、確定性と連続性を俎上に上げ、考察してみましょう。
 確定性に挑戦するとなれば、運動変化の軌跡を決めるのは位置と速度であり、時間を分割し、その極限として値が確定する、という点に注目する必要があります。連続性への挑戦は、運動変化が反復すること、繰り返されることが可能なことに注目すべきです。そして、二つの挑戦を合わせることによって、決定論的な世界で確率的な出来事が可能なことを示すことが目標となります。
 世界の確定的な状態が因果的に変化し、それが連続的であれば、結果として、その状態の変化は決定論的となります。これが古典的な世界観の根幹にある考えです。大変単純で明解です。位置や速度がいつでも確定していることはその値を決める決め方に依存しています。これが第一歩です。決め方と独立しているというのが古典的な考えですが、それは経験的に確かめられたわけではなく、単なる信念に過ぎません。
 複数の状態が可能であり、その状態の時間的な変化が非連続的であることが可能なら、非決定論的な帰結、つまり、マクロな場合は複数の同じ状態の反復が可能で、それが確率的に表現できる、ということが帰結します