君ふるさとをおもひたまふことなかれ

 与謝野晶子は無類の温泉好きで、日本各地の温泉を訪ねている。赤倉はそんな彼女のお気に入りの温泉だった。「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ、…」と詠んだとき、人々はその大胆さにビックリ仰天した。そんな愛国心を否定する勇気に似た勇気となれば、故郷否定ではないか。恐らくそれは同根のもので、愛国心より基本的なのが故郷愛、郷土愛だということに反対する人は少ない筈である。国より故郷の方が身近で、生活に直結しているからだが、それだけではない(それが何かは最後にある)。
 「君死にたまふことなかれ」をもじり、より直接的に「君国をおもひたまふことなかれ」、「君ふるさとをおもひたまふことなかれ」と叫ぶなら、君はどのような気持ちになるだろうか。きっと最後の文には反発したくなるのではないか。そのような気持ちを片隅に置きながら、以下の話を読んでいただきたい。

 1月末に妙高市長と話す機会があり、妙高市の人口減少の一因は東京に出たお前にもあるのだと言われ、痛いところを突かれたと思ったら、2017年の都市の「住みよさランキング」で妙高市が全国18位だと自慢され、それは同郷の一人として嬉しいのだが、何か解せない気分になったのである。案の定、そのことをFacebookに書いたら、色々批判、疑問が殺到した。妙高市民にも18位という実感は乏しいらしい。ランキングの計算では広い持ち家が多いとポイントが高くなるのだが、そのために転入・転出が少なく、新しい住宅の建設が少なくなることから、活気がなく、沈滞した都市像が浮かんでくる。「住居水準充実度」と「快適度」を「広い自宅」と「古く住み続ける自宅」とザックリ捉えるなら、それらが一方ではプラスに、他方ではマイナスにカウントされ、プラスの方に有利に働いたことを示していて、ここに妙高市のランキング躍進の謎を解く鍵があるようなのである。人口の増減も含め、今ではすっかり近くなった妙高と東京について、「故郷を離れる、故郷に戻る」ことが昔とは相当に変わってしまったことが東京と田舎の関係について何をもたらすのか、考え直してみたくなった。その際、気になるのが「故郷愛、郷土愛」なる魔訶不可思議な「感情擬き」である。愛国主義者というと訝しがられるが、「故郷が好き」なのは当たり前ということになっている。「国を愛す」ことは教育されないと育たないが、「故郷を愛す」ことは自ずと育つと思われているからである。

 明治に入り、政治、経済、科学の知識が西欧から輸入され、それを吸収、活用していく反面、伝統文化、芸術、宗教はそれまでの歴史を守る形で推移する。前者の代表的思想家が福澤諭吉だとすれば、後者のそれは岡倉天心である。二人の思想の違いは「脱亜」と「興亜」という標語によって対照的に表現され、その謂い回しから二人は正反対の思想家であるかのように受け取られがちである。脱亜と興亜とを対にすると、水と油、陰と陽の思想だと受け取られ、丸山真男はじめ多くの論客が好んで議論してきた。その二人の主張を垣間見ておこう。

福澤諭吉「脱亜論」より>
されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの猶予(ゆうよ)あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

岡倉天心「アジアの覚醒」より>
われわれの父祖の地は、大いなる苦難のもとにある。今や、東洋は衰退の同義語になり、その民は奴隷を意味している。たたえられているわれわれの温順さは、礼儀をよそおった異国人の卑怯なあざげりにほかならない。われわれは、商業の名のもとに好戦の徒を歓迎し、文明の名のもとに帝国主義者を抱擁し、キリスト教の名のもとに残酷のまえにひれふしてきた。国際法の光は、白い羊皮紙の上に輝いているが、完全な不正は有色の皮膚に黒い影をおとしている。

 福澤諭吉を「西洋化を求める」と評するのはどうなのか。福澤諭吉には、日本を発展させたいという大局的な目的意識があり、その為には先進的な西洋の法制度を取り入れて近代化を図らねばならないと考えたわけである。また、福澤諭吉儒学先行者である中国と朝鮮も近代化が必要であると考え、その協力も惜しまなかった。しかし、頑迷な中国と朝鮮の近代化を待っていたのでは、日本は欧米列強と対抗できないという現実的な認識も彼は持っていた。一方、岡倉天心は日本の伝統美術を積極的に欧米に紹介した。それも福澤諭吉と方法論は全く異なるけれども、日本を欧米列強と文化的に対抗できる国にするためだった。『日本の目覚め』The Awakening of Japanは、1903年日露戦争前夜に出版されたため、『茶の本』と比べると、政治的色合いが濃く、過激な内容になっている。西洋との調和という面が強調された『茶の本』と比べると、日本と西洋の対立にスポットが当てられている。『東洋の理想』The Ideals of the Eastは、西洋の読者に向けて書かれた、日本および中国、インドの芸術的・精神的交流を描いた作品。そのなかの一言、「アジアは一つ」という言葉はのちに一人歩きし、汎アジア主義者天心と言われることになった著作である。

 現在、脱亜、興亜のいずれが正しいかなどと問うこと自体が何か的外れな感があるのは否定できない。日本がアメリカの同盟国であり、中国とは一線を画すということが入欧と脱亜の現代版だとは誰も思わないだろう。政治思想史を除くなら、誰もそんな議論をしない。その理由は、二つの思想の前提となる状況がすっかり変わってしまったからである。グローバリズムの元では脱亜も入欧も意味をもたない概念なのである。
 同じように、「故郷妙高から東京に出て、仕事をすること」が何を意味しているのかを、この「脱亜」と「興亜」の対概念をヒントにあれこれ思案して、その結末は似たようなものになると推測したくなるのだが…。故郷を出て東京に行ったのは「脱妙」であり、「入東」であるが、当然今の若者は「脱妙」を半世紀前の若者と同じようには捉えることはない筈である。状況はすっかり変わり、集団就職もなくなり、脱亜と同じように脱妙を捉える人はいなくなったと思いたいのだが、そうではなく、故郷という概念は相変わらずなのである。故郷は教育以外の側面を持つと述べたが、教育によって植えつけられる概念ならば、脱亜や入欧と同じように考えればいいのだが、それがうまくいかないのが故郷概念なのである。
 家族、親族、故郷、地域、国、自然へと範囲が広がるにつれ、私たちの愛憎の感情は変わっていく。それはとても微妙で、地域から自然までは概念が勝り、家族から故郷までは感情が勝るようなのである。感情と概念が人によって異なる仕方で混じり合うことによって、与謝野晶子のように家族への愛が国への忠誠に勝ることがあり、その場合にはグローバリズムが如何に席巻して、興亜や脱亜が無意味になっても、故郷への関わりには影響が及ばないのである。それにしてもわからないのは身近なものへの愛情で、これが学習から逸脱している限り、郷土愛や故郷愛は何とも得体の知れないままなのである。それでも、その正体不明なものに頼るのが私たち人間で、「君ふるさとをおもひたまうことなかれ」と言われれと、大いに反発するのである。