八重のヤマブキの花:「八重」の意義

 子孫を残せないことが八重咲きの本性、特徴であることを端的に表したのが次の歌。

  七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つなきぞ 悲しき

太田道灌(1432-1486)があるとき鷹狩りで雨に遭い、近くの民家で雨具の蓑(みの)を求めたところ、その家の娘が何も言わずにヤマブキの花を差し出します。道灌はこの意味不明な対応に怒り、そのまま城に戻ります。家来の一人に古歌にある「実の一つなき」を「蓑一つなき」にかけ、貸すことができる蓑はないと断ったと説明されます。元の歌は

  七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つなきぞ あやしき

で、作者は兼明(かねあきら)親王、『後拾遺和歌集』(1086)に収められています。花をたくさんつける八重のヤマブキが実をつけないのは不思議だ、と歌っています。「一体何のために花を咲かせるのか」という生物学の基本的な疑問を歌ったのです。

 DNAは生物の遺伝子情報を伝えるシステムで、二重らせん構造をもっています。つまり、2本のヒモのようによじれていて、一本は母親(めしべ)、あと一本は父親(おしべ)のヒモ。二本あるからこのDNAを二倍体と言う。次世代の子作りの時はやはり雄雌で一本ずつのヒモを出し合って子孫を残します。八重ヤマブキは子孫が作れない突然変異体。突然変異によって、三本のヒモがよじれたDNAは母親のヒモを一本もらい、間違って父親のヒモを二本とももらってしまいました。このタイプの子が三倍体。三倍体でもその子自身は育ちますが、次の世代の子は作れません。八重のヤマブキはこの三倍体。そのため、一重の時と同じように花はつけますが、生殖機能はもうありません。

 すると、八重のヤマブキはどうやって子孫を残すのでしょうか。突然変異による誕生はどこでも起こる訳ではありません。でも、八重の珍しい花を好むのが人で、あちこちで増やしてくれます。人は挿し木、取り木、株分けなどのやり方を見つけたのです。人が農業を始めたのが一万年前。そして、挿し木を始めたのが数千年前。花を愛でるという人の性質を利用して個体を増やしてきたのが八重のヤマブキなのです。

*自らは 咲くしかできぬ 八重の山吹

 「一か八か」は、「結果がわからないままに、運を天に任せて勝負すること」という意味の慣用句。「一」と「八」がそれぞれ何を意味し、なぜ一と八なのかについては、幾つもの説がありますが、いずれも賭博から生まれた言葉のようです。一つは、賭博の「丁か半か」の「丁」、「半」という字のそれぞれ上部をとったものであるという説です。もう一つは、「一か罰か」、すなわち「賽の目で一が出るかしくじるか」によるという説です。語源の特定はなかなか難しく、いずれが正しいかの特定は困難です。

 では、英語では、一重咲きと八重咲き、それぞれ何と言うでしょうか。英語では、一重咲きを「シングル(single)」、八重咲きを「ダブル(double)」と言います。シングルは納得できても、八重咲きがダブルでは計算が合いません。日本では、数字の「八」は、形が末広がりなことから、古来縁起のいい数字、幸運をもたらす数字とされてきました。また、数が多いことをあらわす際に、「八」を用いる例がたくさんあります。「八重咲き」、「八重桜」だけでなく、「八百万の神」、「嘘八百」、「七転び八起き」、「七重の膝を八重に折る」等々。

 八重咲きは、花びらの内側のおしべやめしべが並んでいる場所に、さらに多くの花びらが並んで、花びらだけで花ができ上っているように見えるものです。野生の植物におしべとめしべがあるのが当然で、八重咲きのような花は突然変異によるものです。八重咲きの内側の花びらは、おしべやめしべに対応し、それらが花弁化したのが八重咲きです。花弁はもともとおしべやめしべを囲む葉に由来するので、おしべやめしべもそれぞれ小胞子葉、大胞子葉ですから、やはり葉が起源です。いずれも葉に由来しますから、それらがすべて花弁化することはさほど不思議ではありません。でも、八重咲きの花ではおしべやめしべが正常につくられないので、種子や果実は作られない場合が多く、繁殖は株分けなどで行われます。やはり、自然に摂理が存在し、「正常」や「異常」という概念が科学的に認められるのであれば、八重咲きの花は異常と言うことになります。

 バラの花は、一般には八重咲きが普通のように考えられますが、野生種は五弁の花びらだけを持つものです。ウメには八重咲きであっても、おしべもめしべも正常な花があります。これは、花弁が余分に形成されたものと考えられます。ランの場合、いわゆる洋ランには八重咲きはほとんどありません。他方、東洋ランでは、変わりものが重視される傾向があり、いくつもの八重咲きが知られています。一重の椿は花が潔く一挙に落ちますが、八重の椿はなぜか枯れても落ちず、樹上で醜い姿を晒しています。一重の桜は大好きでも、八重桜は嫌いという人が結構います。でも、薔薇の花を想像するよう言われたら、一重の薔薇をあえて想像する人は僅かでしょう。

 このような美的な評価が一重や八重の花になされ、生物学的以外の基準が複雑に入り込み、様々な評価・判定がなされてきました。一重と八重は生物と文化、事実と嗜好が入り混じって、人と花の生活世界をつくり上げている重要な事柄の一つになっているのです。

*これから花をつけるのがコデマリ。一重と八重の花があり、最後の二枚の画像はそれぞれの花です。

一重のヤマブキ

八重のヤマブキ

一重のコデマリ

八重のコデマリ