塾高の優勝

 このところ慶應義塾高校夏の甲子園で優勝し、多くの人を驚かし、その自由な姿勢に共感する人がいると同時に、応援の大音響にやはり慶應は好きになれないと思った人が相当数いて、それがSNSを賑わしています。このような話題は直に忘れ去られるのですが、そんな中で90歳近い卒業生が私に語ったことが妙に心に残ったのです。

 多くの人の疑問は「塾校出身でない大学卒業生までがなぜ塾高を応援するのか」で、それに対する彼の回答は単純明解で、「同じ社中であるから」という昭和の模範的な答えでした。「社中」は塾生、卒業生、教職員など、すべての義塾関係者の総称で、「社中協力」は塾生、塾員の当たり前の行動というのが彼の考えで、これは慶應義塾の正に公式見解です。

 私立大学の学生数で比べれば、日大、早大立命館がトップ3で、慶應義塾は6番目に過ぎません。慶應義塾の付属高校は5校で、甲子園で優勝した塾校の他に、女子高、志木高、湘南藤沢高等部、ニューヨーク学院があります。これら付属高校はすべて慶應義塾が直接に運営していて、内部進学率は95%を遥かに超えて、日本で最も高いのです。甲子園に出場する私立大学の付属高校は珍しくありませんが、内部進学率は随分と異なります。慶應義塾では、学校が違っても同じ塾生であり、いずれ同じ塾員となります。従って、同じ社中であるから応援する、これが彼の回答です。

 大応援団がアルプススタンドを越えるほどに陣取り、大声援を続けたことに対して、SNSで批判が多数出たことに対する彼の意見は次のようなものでした。「気品の泉源」は福澤諭吉の言葉で、彼は学問を修得していく過程で、「智徳」とともに「気品」を重視しました。不祥事があった場合などに塾生に伝える時の常套的な表現としてよく使われ、塾生なら慣れ親しんでいるのが「気品の泉源」です。この気品が甲子園での大応援団にあったかと問われると、気品に欠けたと判断した日本人がかなりいました。彼も気品より塾高への応援が優先されたと判断しました。それでも、あれが現代風の気品であり、塾高のために一心不乱に応援することが気品ある行為だと言う塾員も多い筈です。

 普通部として全国優勝したのが1916年。戦前生まれの彼より後の1940年にできたのが今の塾歌です。甲子園でその塾歌を聞きながら、彼は「海行かば」を重なるように思い出していました。というのも、両方とも作曲者は同じで、信時潔

 90歳近い塾員の反応はいかにも慶應的で、この反応は塾員には模範解答なのですが、そうでない人たちには勝手な理屈にしか思えないのです。この乖離は意外に大きく、最後はいつも慶應が好きか嫌いかという問いに変貌します。慶應義塾は他の学校に比べ、好き嫌いで判断される比率が意外に高いのです。

 でも、高校野球にとって重要なのは塾生、塾員の応援ではなく、塾高と塾生たちの野球活動です。塾高の野球部の活動に関して話し合う方が格段に健全です。