住吉神社の鰹塚

 例祭が終わった住吉神社には明治2年に建てられた水盤舎があり、その隣にあるのが鰹塚。久し振りに見る鰹塚は何とも大きく、見事な姿のままだった。下町の神社には色んな塚や碑が多いのだが、この塚は抜きんでて立派である。塚石は鞍馬石(高さ七尺、幅四尺)、台石は伊予青石(高さ三尺)。手前には説明文があり、建立の趣旨と経緯が記されている。久し振りに鰹塚を見て、昔書いたものを思い出した。正確という訳ではないが、次のような内容だった。

 鰹塚は昭和28年東京鰹節類卸商業協同組合によって建てられた。動物の碑の一つということから、そこから読み取れる人間の態度について、川田順造は「他の生命の犠牲によってしか生きるすべのない人間のかなしい業を自覚し、生きること自体が含む矛盾を受け入れ、自覚することでそれを超えようとする態度」だと少々大袈裟に述べている。こんな西欧的な文化人類学的思弁を江戸っ子がしていたとはにわかに信じられないが…といって、誤っている訳ではない。

 碑の見事な揮毫(画像)は日展審査員で組合員、鰹節問屋「中弥」店主の山崎節堂、裏面の撰は何と池田彌三郎。池田彌三郎は自身が江戸っ子であり、文学部の大先輩でもあるので、彼の撰の最初の一部を挙げておこう(改行は私が勝手に行った)。

鰹塚縁起 池田彌三郎撰

 この東京佃島に鎮座ある住吉大神は國土平諸人幸福を輿へたまふ神として尊ばれておいでになる

 とりわけ海上の安全を守護し給ふ神徳のあらたかさを以って神功皇后の古から幾星霜にわたって海に冨を得幸を求めようとする人の篤い崇敬をうけて来られたことは今更申すまでもない

 私ども東京鰹節問屋の組合でも江戸時代の初めから今に到るまで此大神を私どものなりはひの為の守護神と崇め敬ひ奉仕の誠心を致し来つたのである 

 今日私どもの生業がかくの如く繁榮を来したのも全く此大神のみたまのふゆの致す所と感謝し奉つてゐる  …(以下略)

 池田彌三郎によれば、住吉大神こそが、わたしたちに鰹を授けてくださる至高の存在であり、それを「みたまのふゆ」と表現している。鰹は住吉大神の従者であり、私たちを生かすだけでなく、楽しませてくれる。だから、私たち組合員は大神と鰹の御霊に対する感謝慰霊の心を抑えきれず、住吉神社に鰹塚を建立することになったというのである。そこには、「食べる人間」と「食べられる魚」という区別があるのではなく、魚が大神の意志を受けて、嬉々として身を捧げるものとして述べられている。これが江戸っ子の世界観で、川田順三の上記の文につながるのかも知れない。

*築地の波除(なみよけ)稲荷神社にも海産物の塚が幾つもある。