安倍首相の記者会見のNHKの中継を見ながら、私がオヤッと思ったのは、首相がどこを向いて誰に話しているのか、でした。首相は記者に向かって話していたのですが、カメラを見て国民に向かって話すのが適切な内容でも、眼は記者の方を動き回っていました。それを見ていた私は予算委員会での質疑応答を思い出してしまい、そのためか、首相は予算委員会の質疑応答に慣れていて、質問に正確に答えず、横道にそれるといういつもの行動をとっていると反射的に判断したのです。政治家が「質問に答える」とはこのようなことだと国民に例示しているようでした。落語家がいつもの口調でお悔やみの言葉を述べるようなもので、何とも後味が悪いと感じた人が多かった筈です。また、質問した記者たちもいつも通りで、自らの質問を問い直すことをせず、そのままで一体どのような記事にするのかと自問してしまいました。案の定、今朝の新聞には記者の質問とその答えは個別に言及されず、巧みにカモフラージュされていました。
こんな呑気な感想を言っていられるのも、ヨーロッパ諸国と違って、今の日本が小康状態を保っているからであり、それは偏に医療関係者の大変な努力の賜物です。今は感染者とその接触者が確認され、隔離されることが続き、それが19日頃には峠を迎えたと言えるようになることを願うしかありません。
コロナ在り 自国ファースト 流行り出
今やワイドショーで人気の岡田先生が「若者と老人では致死率がまるで違い、高齢化が進む日本で、新型コロナウイルスをどのように許容する社会をつくるかの哲学が求められている」とコメントされて、つい成程と同意したくなるのですが、大抵の病気(特に、三大疾病)は高齢者ほど致死率は高く、当たり前のことではないのかと思ったり、人口減少、老齢化、出生率低下、少子化、感染症の蔓延はまるで違ったようでありながら、よく似た側面をもつようであると想像し、その側面を取り出すのが哲学ではないのかと考えたりしてしまうのが暇な老人の悪い癖(テレビドラマの台詞?)。
私自身が若い頃に関心をもった一つが進化生物学で、その対象は生物種の時間的な変化であり、簡単には「集団が時間的にどのように変わっていくか」の説明でした。その説明のために必要だったのが集団遺伝学で、それは生物集団の統計学でもあり、人口動態の数理解析と呼んでも構いません。20世紀は遺伝学が分子レベルで飛躍的に研究されましたが、遺伝子とその変異の数理統計的解析が集団遺伝学です。この集団遺伝学の隣には生態学が、さらには人口学、そして集団レベルの疫学、感染症学があると考えることができます。これらの分野はいずれも遺伝や感染症とは違ったレベルの研究です。
今問題になっている新型コロナウイルスについても、感染の数学的モデルによって今後の予測ができるのですが、その手の話は表面には登場しません。イギリスなどは(生物だけでなく、物理や経済についての)数理モデルが好きですから、首相の会見でもチラッと出るのですが、日本では元々数学モデルによる感染症伝播の予測への関心が薄く、日本の首相は一切話しませんし、専門家会議の発表にも登場しません。それでも今回のコロナの場合は、北大の西浦教授らの仕事が漏れ伝わってきます。
数理モデルについての基本的な考え方に関心のある方は以下の文献を参照してみて下さい。感染症のもつ別の側面がはっきり見えてくる筈です。
*『人口と感染症の数理』(ミンモ・イアネリ、稲葉寿、國谷紀良、東京大学出版会、2014)
*稲葉寿「人口と感染症の数理-90年代の経験から-」『昭和学士会誌』74、5、535-42、2014(添付のPDF参照)
*稲葉寿「感染症の数理」2009の原稿とPower Point(感染症の数理-日本アクチュアリー会)は検索で簡単に読める。