生命の変化(1)

‘Nothing in biology makes sense except in the light of evolution’.
T. Dobzhansky(1973)

 物理学が20世紀前半に大きく進展したのに対し、20世紀後半に著しい発展を遂げたのは生物学である。それに伴い現在では生物学の哲学も物理学の哲学と肩を並べる分野に成長し、今や科学哲学の二大分野の一つとなっている。方法論を除いた、個別科学に関する哲学が物理学の哲学だけであるという時代は終わり、科学の内部を哲学する場合の自律した分野として生物学が加わり、それに応じて科学の本性は物理学と生物学の両面から明らかにされ始めた。20世紀の生物学の哲学は主にダーウィンの進化論を巡っての議論からなっていたが、それは進化論(=進化生物学)が物理学の基礎理論である量子力学相対性理論と同じように、生物学の基礎理論の一つと見なされていたからである。近年哲学的な考察範囲は広まっているが、ここでは進化論に関する哲学的な議論だけを考えてみよう。
 生物学は実証的な研究と理論的な研究の二つの側面で古典力学を模範にしてきた。物理学の実証的手法を生物学に適用することによって、19世紀に顕微鏡を駆使した細胞学、そして生理学や発生学が生まれた。また、物理学の説明方法を適用することによって、同じ19世紀に進化を因果的に説明する進化論が生み出された。実証的研究で生物学特有の法則や原理は結局見つからなかったのに対し、理論的研究では「自然選択」という生命現象特有の原理が見つかり、生命現象に独特な変化として進化の存在が認められることになった。
 古典力学を模範にして生まれたのが進化論であるとすれば、生物学の研究が物理学より遅れているという印象が持たれるかもしれない。物理学は既に古典的な理論を乗り越え、相対性理論量子力学に移行しているのに対し、生物学はやっと古典力学の水準に達し、それ以上には進んでいないという見方はある点で当たっているが、ニュートン革命に比べダーウィン革命は200年程遅く、進化の総合説の完成時期が相対性理論量子力学より後であることを考えれば、単純な比較はできないだろう。
 一方、進化論には古典力学にはない側面もある。進化論は統計力学と並んで、確率革命の成果が最も早く、最も強く出た理論の一つである。確率・統計概念は20世紀の知識を19世紀までの知識と区別するほどの重要な概念だが、それが具体化されているのが進化論の中核をなす集団遺伝学である。マクロな世界での確率・統計の使用は認識上の無知解釈や客観的な頻度解釈によって考えられてきたが、同じマクロな世界を扱う進化論での確率・統計の使用はそれらの解釈だけで済まない、より積極的な意義をもっている。
 ここでは進化論の主張とその哲学的な分析を進化の事実、進化の過程、進化の結果の順に進めてみよう。

1 進化論の誕生
 生物学の哲学が何を対象にするか問われれば、生命の本質の理解にあると考え、いわゆる「生命論」を想像するかもしれないが、20世紀の生物学の哲学はもっぱら進化生物学(=進化論)の哲学であった。ニュートンが物理学を革新したように生物学を革新したのはダーウィンだった。そのダーウィンが生み出したのが進化論であり、物理学において力学が基礎的な理論になったように、進化論は細胞学と共に生物学の基礎理論となった。思想や思想史の主題として進化を考える立場からではなく、自然現象としての進化の哲学的問題を、量子力学の測定問題を扱った場合と同じように、進化の理論と密接に照合させながら考えてみよう。
 進化は「変更を伴う由来(descent with modification、『種の起源』でダーウィン自身が使った進化の表現)」、つまり、多くの世代を通じての有機体の形態、生理、行動の変化である。生物の変化は系統の樹状パターンとして表され、その中で進化が表現される。進化の結果、生物は環境に適応し、生きるための形態、生理、行動の巧みな仕組みを獲得している。
 ダーウィン以前にも多くの人が生物種の変化の可能性を議論してきた。ラマルクはその中でも特に有名である。19世紀中葉までの生物学者の多くは種が不変で固定したものと考えていた。これに対して、ダーウィンの自然選択による進化の理論は種の変化と適応を説明しようとする。当時の人々には進化が存在し、それが自然選択によるという考えは革新的で、なかなか受け入れられなかった。また、ダーウィンには遺伝の理論が欠けていたため、1900年メンデルの理論(1856)が再発見されると、最初メンデルの理論は自然選択説に反対する考えと受け取られた(ダーウィンの最初の遺伝モデルは形質がブレンドされるという混合遺伝説だった。すぐにジェンキン(Fleeming Jenkin, 1867)は混合遺伝の結果は変異を半減させると指摘した)。選択は形質の連続的で僅かな変化に働くというダーウィンの信念に基づき、近代的な統計学理論の枠組みの中で遺伝の現象変化を追求した計量生物学派(ゴールトンやピアソン、遺伝可能性のメカニズムより選択のメカニズムを重視)と、遺伝子の本性は不変で、新しい遺伝子を生み出す突然変異が進化の原動力と考えるメンデル派とが対立していた。フィッシャー、ホールディン、ライトはメンデルの遺伝理論と自然選択説が両立可能であることを示し、その結果、二つの考えを総合した理論が生まれた。これがネオダーウィニズムあるいは進化の総合説と呼ばれるものである。1930-50年の間に総合説は次第に受け入れられていった。それは集団遺伝学を中核にして、動植物学、分類学、古生物学、比較形態学、発生学等を総合した進化の理論だった。

(問)自然選択とメンデルの遺伝の考えが両立しないと考えられたのはどのような理由からか。

(問)物理学と生物学は人間に対してどのような主張をし、それらが人間の概念にどのように影響するか考えよ。

2 進化論とはどのような理論か
(進化とは何か)
 「進化」という言葉は異なる場面でさまざまに使われている。宇宙の進化、科学技術の進化、社会の進化等を思い起こすなら、変化という語とほとんど同じように使われている。だから、進化の理論を広く考えるなら、世界の変化に関する一般的な理論ということになる。では、生物進化はこのようなさまざまな変化の一つとして、他の変化からどのように区別できるのか。進化論での「進化」はこれら一般的な使い方に比べて遥かにその範囲は狭く、集団内で遺伝子の頻度変化が生じる時に進化が起こるというのが一般的な定義である。集団内での遺伝子頻度の増減、新しい遺伝子の登場、あるいは古い遺伝子の退場によって進化が起こると言われている。遺伝子の頻度変化を基準にすると、宇宙や星の進化、社会の進化等は遺伝子の頻度変化によって引き起こされないという意味で進化ではない。

(問)遺伝子頻度の変化による進化の定義をダーウィンの「変更を伴う由来」と比べて、違いを挙げてみよ。

 では、生物の変化はすべて進化なのか。二人の兄弟が成長し、一方は太り、他方は痩せたとしてみよう。それぞれの細胞は増え、その中の遺伝子数もしたがって増える。そして、その増え方は兄弟で異なっている。だが、それぞれの遺伝子の頻度は変化するだろうか。それぞれの頻度は不変のままである。生物個体の成長はその遺伝子頻度を変えない。(どうしてか。)個体発生と系統発生は遺伝子頻度に関して異なっている。
 遺伝子頻度の変化としての進化は集団内の遺伝子頻度の変化であるから、それは当然一つの種内での進化しか意味していない。これは小進化(microevolution)と呼ばれており、種やそれ以上の分類項目の絶滅や誕生といった大進化(macroevolution)とは異なっている。では、遺伝子頻度の変化としての進化はこの大進化を進化とみなさないことになるのだろうか。もし種分化(speciation:新しい種が在来種から分かれて誕生すること)が遺伝子頻度の変化を帰結するなら、大進化も進化とみなされることになる。

*大進化
 進化の総合説の展開の中での焦点は小進化にある。小進化は集団内の世代交代を通じての遺伝的変化であり、ハーディ-ワインバーグ均衡(後出)を使って正確に描くことができる世代間の漸進的変化と考えられてきた。そこから、過去の種は長い期間を経て漸進的に別の種に進化すると推測された。長期間の漸進的変化とその蓄積というモデルは通常系統発生の漸進説(Gradualism)と呼ばれている。ダーウィン自身、種はゆっくりと一定の速度で進化すると考えていた。
 1970年代に入り、このモデルはグールド(Stephen J. Gould)とエルドリッジ(Niles Eldredge)によって批判された。彼らは幾つもの種が長期間ほとんど変化せず、突然短期間の間に急激に変化することを化石の証拠に基づいて主張した。グールドはこのような変化のモデルを区切り平衡(punctuated equilibrium)と呼んだ(グールドのモデルは、短期間の革命と長期間の通常科学というクーンの科学史のパターンについての考えによく似ている)。

 ダーウィンが最初に考えた進化は遺伝子頻度の変化ではなかった。遺伝子頻度の変化は総合説における考えである。遺伝子は染色体の中にあり、人間を含むいくつかの種は対になった染色体をもっている。そのような種は二倍体と呼ばれるが、対になったそれぞれの染色体の座位(locus)にどのような遺伝子があるか考えてみよう。二つの対立遺伝子があり、それぞれをA、aとしよう。各有機体はAの二つのコピー、aの二つのコピー、あるいはAとaのコピーをもつことになる。これがその座位での有機体の遺伝子型(genotype)である。
 上のように定義される遺伝子型と表現型(phenotype)はどのような関係になっているのだろうか。それは、例えば、語とその意味の関係に似ているだろうか。あるいは、文字の系列とその指示対象の関係に似ているだろうか。その定義からして遺伝子型も表現型もタイプであり、トークンではない(タイプは性質、トークンはその性質をもつ具体的な対象である。人間はタイプであり、その一例としての各個人はトークンである。あるタイプは多くの異なるトークンをもち、別のタイプは一つのトークンももたない)。遺伝子がDNAの単なる断片ではないように、遺伝子型も単なる遺伝子の対ではない。それらは機能的な単位である。では、表現型は遺伝子型に付随するのだろうか。複数の遺伝子型によって実現される表現型はあるのだろうか。量的な遺伝では両者の関係をどのように考えたらよいのか。このような問題がすぐに浮上する。生物学が物理学と異なる点の一つが既にここに現われている。それは情報である。遺伝子型も表現型も物理的でない要素、つまりは情報という要素を含んだ概念である。
 集団内での交配は全く任意に行われる場合とそうでない場合に分けられる。任意でない交配、例えば、似たもの同士が交配する場合を使って「進化は遺伝子頻度の変化である」という主張に対する反例を考えてみよう。ある座位で同じ遺伝子をもつものだけが交配するとしよう。これは集団内で3通りの組み合わせしかないことを意味している。つまり、AA×AA、aa×aa、Aa×Aaである。この交配のパターンはどのような進化上の結果をもたらすだろうか。400の個体のうち100がAA、200がAa、100がaaとして、具体例で考えてみよう。遺伝子の総数は800で、Aとaはそれぞれ50%である。これらの400の個体が交配し、それぞれ2個体の子供を残すとしよう。次の世代は、したがって、400の個体がいて、その遺伝子型ごとの割合は次の表のようになる。

親 子供
50 AA×AA 100AA
100Aa×Aa 50AA、100Aa、50aa
50aa×aa 100aa

Aとaの遺伝子の頻度は相変わらず50%で変化していない。しかし、遺伝子型の比率はどうか。最初は1/4,1/2,1/4であったAA : Aa : aaの比率は子供の代では3/8、1/4、3/8に変わっている。遺伝子の頻度は変化しないが、遺伝子型の頻度は変化している。世代交代をさらに繰り返していったらどうなるだろうか。次第にAaの遺伝子型の頻度は減少していく。(各自確かめてみよ。)ところで、この集団の変化は進化だろうか。これを進化でないとする理由はどこにもない。この反例から次のことが言える。遺伝子頻度が不変でも遺伝子型頻度は変わり得る。そして、進化は遺伝子頻度が不変でも起こる可能性がある。
 遺伝子頻度の変化としての進化という考えに疑問を投げかける二番目の事柄はミトコンドリアの役割である。ミトコンドリアは細胞の核外にあって、それが含むDNAは遺伝する。ある集団において染色体の特徴は不変のままにミトコンドリアの性質が変化するなら、これは進化と言えるだろうか。多分、私たちは遺伝子の概念を拡大してミトコンドリアのDNAにも適用し、遺伝子頻度の変化としての進化という考えを保持するだろう。しかし、その時には「遺伝子」という概念を考え直さなければならない。
 三番目の疑問は集団のサイズである。集団の個体数が増えたり、減ったりすることは生態学的に極めて重要な変化であり、それが他の集団に与える影響は決して少なくない。集団のサイズは変化するがその遺伝子の頻度は不変であるとしたら、それは進化と言えるのだろうか。少なくとも、進化=遺伝子頻度の変化という定義はこのような変化を含んでいない。
 このように見てくると、進化を遺伝子頻度の変化と捉えることは誤っているのだろうか。進化を別の概念を使って正確に特徴づけるというのは困難である。定義が正確にできないことは悲観する材料ではなく、それが経験科学の特徴であると考えたほうがよい。というのも、進化を正確に定義することは言葉の問題ではなく、事実の問題だからである。進化に関する新しい知識が増えることによって、「進化」は概念的に進化していく。そのような経緯と研究対象に応じて進化を適切に扱うことのできる定義が与えられれば、それ以上必要ではない。