トチノキ、あるいはマロニエについて

 子供の頃、私はトチノキも栃餅も知りませんでした。当然ながら、マロニエセイヨウトチノキだとも知りませんでした。パリのシャンゼリゼ通りのマロニエ並木はトチノキとは結びついていませんでした。私のマロニエサルトルの小説『嘔吐』の中のマロニエ。主人公は旅行家兼歴史研究者のロカンタン。ある日、ロカンタンは自分の中で起こっている異変に気づく。海岸で拾った小石や、カフェの給仕のサスペンダーを見て吐き気がしたり、ついには自分の手を見ても吐き気がするようになる。そして、公園のベンチに座って目の前のマロニエの根を見た時、激しい吐き気に襲われ、それが「ものがそこにあるということ」が起こすものだと気づく。この「実存に対する反応」によって彼の意識は朦朧としていく。この「吐き気」はゲシュタルト崩壊で、それがロカンタンの身に起こり、彼の日常生活は崩壊する。 サルトルの「実存は本質に先立つ」という有名な言葉は、当時熱狂的な支持を集め、それが私にも伝わっていたのですが、トチノキにはまるで結びついていなかったのです。

 私が偶然に『嘔吐』を手にしたのは故郷の本屋「文栄堂」で、それが私のサルトルとの最初の出会いでした。その『嘔吐』は文学部仏文学専攻の白井浩司先生の訳で、塾長だった佐藤朔先生も実存主義文学を紹介、翻訳しておられ、来日したサルトルの講演を三田の大教室で聞いたのを憶えています。サルトルを知り、実存主義を知り、戦争体験のないことを実感し、…、結局、マロニエがどんな木かを見過ごしてきたことを知ったのはいつだったのか、判然としません。

 湾岸地域の公園にあるトチノキの大木たちは今花をつけています。白い花で、それが終わると栃の実となります。山村でもシャンゼリゼでもない湾岸地域には意外にもトチノキが目につき、それも、マロニエが多いのです。パリのマロニエと日本のトチノキの違いはフランス人と日本人の違いと同じ程度のことで、トチノキは日本マロニエだと呟けば済むことです。いや、シャンゼリゼ通りのマロニエは実は西洋トチノキだと私たちが考えればいいだけのことです。

 栃餅をつくるには随分手間がかかるようですが、それはマロン・グラッセも同じでした。マロン・グラッセは栗のシロップ漬け。「マロン」は「マロニエの実」であり、マロニエセイヨウトチノキですから、マロン・グラッセは栃の実のシロップ漬けでした。でも、栃の実は処理が大変なので、栗で代用するようになったのです。クリが品種改良され、栃の実のように粒の大きな実を結ぶ品種が生まれ、それが「マロン」と呼ばれるようになったようです。

*ベニバナトチノキは北米原産のアカバトチノキとヨーロッパ原産のセイヨウトチノキマロニエ)の交雑種

ベニバナトチノキの花

栃の実