A君と先祖との血縁関係

 石田三成の子孫について、A君は次のようにメモした。「関ヶ原合戦に敗れた石田三成の嫡子重家は徳川家康に助けられ、出家し、次男重成は津軽信建に匿われ、子孫の杉山氏は津軽藩士として存続した。また、三成の娘辰姫は秀吉没後に高台院の養女となり、弘前藩2代藩主津軽信枚に入輿し、3代藩主信義を産む。さらに、庶子の子孫を名乗る家もあり、「三成の子孫」を名乗る家が東北地方を中心に各地に存在する。さらに、二代目重家の直系子孫を名乗る石田秀雄氏によると、三代目直重は越後高田藩松平家に従い、その次の代からは妙高の庄屋となり、現在まで男系で繋いでいるが、それを示す史料は戦争で燃えた。」

 このようなメモを読み直しながら、A君は戦国時代の武将たちの直系の子孫が今も残り、大河ドラマなどで先祖について語ることが何を意味しているかについて、少々哲学的な考察をしてみたくなった。

 A君がまず参考にしたのは遺伝、染色体、組み換えといった概念だった。私たちのDNAは60億もの塩基対を含み、2組44本の常染色体と2本の性染色体からなっている。2つの染色体が並んで、その一部を交換することが組換えで、精子や卵を作るときに起きる。組換えが起きないならば、46本の染色体はそのままで、私たちは両親から23本ずつ染色体を受け継ぐことになる。

 A君の母親も祖母と祖父から23本ずつ、染色体を受け継いだ。母親はその46本の中から23本をA君に受け渡したが、その中の何本が祖母から母親に来たものか、あるいは祖父から母親に来たものかはわからない。とにかく、A君の46本の染色体は両親を越えて、4人の祖父母から11本ほどを受け継いでいる。さらに、A君の46本の染色体は8人の曽祖父母から6本ほどを受け継いだものであり、16人の高祖父母からは3本ほど受け継いだものであり、32人の高祖父母の親からは1本ほど受け継いだものである。高祖父母の祖父母は64人もいる。だが、染色体は46本しかない。つまり、A君は少なくとも(64-46=)18人の高祖父母の祖父母からは染色体を受け継ぐことができない。さらに、128人いる高祖父母の曽祖父母の少なくとも(128-46=)82人からA君は染色体を受け継ぐことができないのである。

 ここに組換えを考慮にいれても、状況は本質的に変わらない。女性が卵を作るときには、平均して45回の組換えが、男性が精子を作るときには、平均して26回の組換えが起きる。合わせると1世代のあいだに平均71回の組み合わせが起きることになる。組換えを起こして染色体の一部を交換したあと、染色体はまたつながる。だから、いくら組換えを起こしても、染色体は46本のまま。でも、1本の染色体が組換えを起こして2つのピースに分かれれば、それぞれのピースは別々の先祖から受け継がれたものということになる。つまり、1本の染色体の中に、母親から来たDNAと父親から来たDNAが混在するようになる。要するに、組換えが1回起きることは、染色体が1本増えたことに相当する。

 私たちは今46本の染色体を持っているので、最大46人の先祖からDNAを受け継ぐことができる。しかし、父母の世代の卵と精子で平均71回の組換えが起きているので、私たちの染色体は46+71=117個のピースに分かれている。したがって、私たちは父母の世代の最大117人からDNAを受け継ぐことができる。とはいえ、私たちの父母は合わせて2人なので、実際には117ピースのすべてを2人から受け継いでいる。例えば、母親から61ピース、父親から56ピースを受け継ぐことになる。

 1世代遡るごとに、ピースは71個ずつ増えていく。つまりDNAを受け継ぐことのできるその世代の人数が、71人ずつ増えていく。やはりピースの数の方が多いので、私たちは先祖みんなからDNAを受け継いでいる。だが、世代をさらに遡っていくと、様子が変わってくる。ピースの数は、1世代遡るごとに71が増えるだけなので、増え方は一定である。しかし人数の方は、1世代遡るごとに2倍になるので、10代前でピースの数を抜き去り、一気に差を広げていく。20代前まで遡ると、先祖の数は100万人を超えるのに、その中で私たちがDNAを受け継げる人数は最大で1500人足らず。つまり、20代前の中で、私たちに少しでもDNAを伝えられる人は、約0.1パーセントしかいない。

 1世代を25年とすると、20代前は500年前。源氏や平氏の時代はそれよりさらに300年以上前なので、そんな時代の直系の先祖だとしても、今のA君にDNAを伝えている確率はゼロに等しい。これが家系に関する生物学的な事実である。

 石田三成の5代後の子孫Nは三成の特徴を少し受け継いでいる。その子孫Nの5代後の子孫MはNの特徴をやはり少し受け継いでいる。でも、Mは三成の特徴をほぼ何も受け継いでいない。つまり、三成からの遺伝は推移的ではなく、世代が増えるにつれ、遺伝的に受け継ぐものは急速に減り、終にはなくなってしまうのである。これが生物学的なレベルでの遺伝的な繋がりである。

 これは私たちの常識的な祖先関係とは随分異なる。私たちの祖先関係は生物的な関係ではないのである。とはいえ、たとえDNAはまったく伝わっていなくても、家系図が存在するという歴史的、文化的事実を認めるならば、源氏や平氏の子孫と主張する意味はあるのだろう。「血の繋がり」は長期間に及ぶにつれ、生物学的には繋がりが薄れ、終にはなくなり、それに代わって、歴史的事実の繋がりが強調されることになる。家の歴史は血筋、血縁、家系などが文化的に伝承されることによって、生物的な繋がりが核心にあるかのように強固な繋がりに作り変えられていく。私たちは生得的な繋がりではなく、学習による後天的な繋がりによって結びついてきた。生物的な繋がりは重要でないことが正しく認識されているのであれば、何も問題はないのだが、なぜか「血の繋がり」だけが一方的に強調されてきたのがこれまでの伝統的な対応、態度で、これは明らかな誤謬である。

 生物進化と文化進化の違いの核心の一つがここにある。確かに、血筋についての知識は宗教教義ほどではないが、変化しない、消すことのできない事実として核心の部分だと受け取られてきた。しかし、「血の繋がり」を保証してきたのは「知の繫がり」なのである。