「都会でつながる」とは?

 昨日の新聞記事に「都会でつながる若者たち」という表現があった。「つながる」はずっと気になっていた自動詞で、その他動詞は「つなげる」。この「つながる」には他動詞「つなぐ」もある。そこで、自動詞と他動詞の関係をまとめてみよう。

(1)自動詞でペアのないものには、動作の「行く、泣く」など、自然現象の「咲く、光る」などがある。

(2)自動詞、他動詞のペアがあるものには、自動詞(開く、閉まる、消える)、他動詞(開ける、閉める、消す)などがある。

(3)他動詞でペアのないものには、「(本を)読む、(パンを)食べる」などがある。

(4)自動詞と他動詞が同じ形の「解散する、再開する、終わる」などがある。

 この(1)から(4)までの中で、文法の自動詞、他動詞として学校で教えるのは(2)。物がどうなったか表現したい時は「自動詞」、人が何をしたか表現したい時は「他動詞」を使う。

 さて、「つなぐ」、「つなげる」、「つながる」は、「つなぐ」と「つなげる」が他動詞、「つながる」が自動詞。「つなぐ」と「つなげる」は微妙に使い方が違う。例えば、「手をつなぐ」と言うが、「手をつなげる」とは言わない。だが、「手と手をつなぐ」、「手と手をつなげる」とは言う(この二つの文の意味は違う)。「つながる」が自動詞、「つなぐ」が他動詞の対が先にあり、その後、新しい他動詞「つなげる」が生まれたように思われる。

 「つなぐ(他)、つながる(自)」、「つなげる(他)、つながる(自)」に似たものには、「溶く(他)、溶ける(自)」と「溶かす(他)、溶ける(自)」、「抜く(他)、抜ける(自)」と「抜かす(他)、抜ける(自)」などがある。ここでよく話題になるのが「抜く、抜かす」が共に他動詞で使われる場合で、「抜かされる」に違和感を持つ人が相当いる。

 「何が私たちをつないでいるのか」と「何が私たちをつなげているのか」の違いは何だろうか。これら二つの文はほぼ同義というのがほとんどの人の判断。「私たちをつないでいる(つなげている)のは故郷である」という答えにも何ら不自然さはない。だから、「故郷が私たちをつなぐ、つなげる」から「私たちがつながる」が帰結することになる。