美と醜の間の秋

 早春のコブシの花の大きさ、花色の白さは春の喜びを見事に表現しています。でも、その後のコブシの実の形状もとても印象的で、一つとして同じ形のものはありません。花と違って実は千差万別の形の妙を見せてくれます。

 画像はその実の今の姿です。その形状を美しいという人はとても少ないでしょうが、枯れ姿、老身だけでないものを感じる人もやはりいるのではないでしょうか。それは砂浜に打ち寄せられた枯れ木の姿に似ているのかも知れません。

 コブシの木をつぶさに眺めるなら、花や実だけでなく、幹、枝、葉も目に入ってきます。私たちが植物を見る仕方はとてもせっかちで一面的です。一つの植物を公平に、客観的に見ることはほぼなく、特定の部分ばかりを偏見に基づいて見ています。

 その不公平な見方の際たる基準が「美醜」です。そして、美ばかりが注目され、醜は無視されることになります。ですから、時には美醜の基準を忘れて、コブシの姿を見ると、そこに新しい自然の姿を発見できるかもしれません。