白隠の試み

(1)坐禅和讃(Wikipediaに全文あり)

 越後の高田で悟り、信州の飯山で悟り直し、臨済宗中興の祖となった白隠ですが、禅宗の教えをわかりやすい日本語で和讃(仏や釈迦、仏教の経典などを日本語で讃える歌のこと)の形で著したのが「坐禅和讃」です。禅は中国から日本に伝わりましたが、そのため坐禅の教えも漢字によるのが普通で、一般の人たには分かりにくいものでした。そこで、白隠坐禅の素晴らしさを七・五調の和文で表現したのです。

 まず、白隠尊い心が自分の中にあり、この心をつかむ手段が座禅だと説きます。

衆生(しゅじょう)本来仏なり(人は誰もそのままで仏である)

水と氷の如くにて(それは水と氷のようなもので)

水を離れて氷なく(水がなければ、氷ができないのと同じように)

衆生の外(ほか)に仏なし(人の他に仏はいない)

衆生近きを知らずして(人は、仏がすぐ近くにいるのに気づかずに)

遠く求むるはかなさよ(遠くばかり求めているが、なんと愚かなことだ)

譬(たと)えば水の中に居て(譬えて言えば、それは水の中にいながら)

渇(かつ)を叫(さけ)ぶが如(ごと)くなり(のどが渇いた、と叫ぶようなものだ)

長者(ちょうじゃ)の家の子となりて(裕福な家の子に生まれながら)

貧里(ひんり)に迷うに異(こと)ならず(貧しいと悩んでいるのと同じことだ)

 禅は禅定(ぜんじょう)とも呼ばれ、心を静め、落ち着かせる方法です。心は不思議なもので、喜んだり、怒ったりと状態を変え、つかみどころがありません。自分のものでありながら、思うように使いこなすことができないのが心です。それでは、なぜこの心は変化するのでしょうか。釈迦は「これがあれば、あれがある。これが生ずれば、あれも生ずる。これがなければ、あれもない。これがなくなれば、あれもなくなる。」と言います。不安や迷いの気持ちがあれば、そこには「原因」があります。その原因を知り、それを取り除くけば、不安や迷いはなくなります。

六趣輪廻(ろくしゅりんね)の因縁(いんねん)は

(私たちは地獄餓鬼、畜生、修羅、人間、天上(てんじょう)の6つの迷いの世界を行ったり来たりしている。その原因は)

己(おのれ)が愚痴(ぐち)の闇路(やみじ)なり

(自分の中の仏に気づかない愚かさであり、暗やみの道である)

闇路(やみじ)に闇路を踏(ふ)み添(そ)えて

(暗やみの道を次から次に歩き続けて)

いつか生死(しょうじ)を離(はな)るべき

(いつ生きていくことの苦しみや、死への恐怖を乗りこえることができるのか)

夫(そ)れ摩訶衍(まかえん)の禅定(ぜんじょう)は

(そこで自分だけでなく、あらゆる人を救おうという坐禅は)

称歎(しょうたん)するに余りあり

(ほめたたえても余りあるほどである)

 このように、坐禅和讃は坐禅のすばらしさを説いたものです。白隠は「自性(じしょう)は無性(むしょう)である」と説いています。これは、「感覚できる物ははっきりしているようで、実はよく分からない」という意味です。自分と他人との違いはどこにあるのでしょうか。顔や性格など表面の部分を取りのぞいて、残った「自分」は、他人と何も変わらないことに気づきます。坐禅をすると、何も考えないことはできない、ということに気づき、そこから坐禅がスタートします。

(2)隻手の声

 まだ、白隠の話は続くのですが、彼が具体的に坐禅を通じて仏教の考え方を易しく述べていることがここまででも十分に伝わると思います。越後も信州も福井に近く、福井には曹洞宗永平寺があります。そのためか、私たちは師の栄西より弟子の道元の方に親しみを持ってきたようです。実際、高田の寺町には曹洞宗の寺院が10、飯山市には16もあります。妙高市でさえ曹洞宗の寺院があります。でも、臨済宗の寺院は飯山市に一つあるだけです。その一つとは白隠が修行した正受庵です。日本の浄土真宗の信徒は1500万人を越え、曹洞宗でも367万人ですが、臨済宗は100万人ほどしかいません。私たちの禅宗に対するイメージは京都五山鎌倉五山を核にした文化的なものに偏りがちですが、白隠臨済宗を庶民の仏教に近づける形で再興しました。

 白隠臨済宗中興の祖ともいわれ、五百年でようやく一人出るほどの傑物とされています。公案体系を組み直し、自ら「隻手(せきしゅ)の声」という公案をつくり、多くの出家、在家を導いたと言われます。修行に公案を用いるのは臨済宗黄檗(おうばく)宗で、曹洞宗は基本的に用いません。曹洞宗は「行持(ぎょうじ・身のこなし)」に絞って仏の作法を真似るのに対し、臨済宗黄檗宗では行持だけでなく心の動きまで仏に倣おうというのです。隻手の声(せきしゅのこえ)、あるいは隻手音声(せきしゅおんじょう)という白隠が創案した禅の代表的な公案の一つを見てみましょう。

「両掌打って音声あり、隻手になんの声やある。隻手の声を拈提せよ」

(「両手を打ち合わせると音がするが、片手にはどんな音があるのか。それを報告しなさい」)

臨済禅は初関と言われる公案によって、禅僧としての威儀や作法だけでなく、心の在り方も習得させようとします。「狗子仏性(くしぶっしょう)(趙州(じょうしゅう)無字)」という伝統的な公案はその代表的なものです。ある僧が趙州和尚に「狗(いぬ)にも仏性はありますか」と問います。すると、趙州は「無」と答えます。では、その「無」とは何でしょうか。実際に弟子たちをつかってこの公案を試し、白隠は「隻手の声」の方が「狗子仏性」よりも導きやすい、肚(はら)に落ちやすいと自讃しています。

*「狗子仏性」や「隻手の声」の公案に対して、A君ならどのように答えるでしょうか。彼は公案が問いの形をしていて、問題に解答するよう求めていることから、論理的かつ実証的な解答をするのが普通の人間であり、その仕方に疑問を持つなら、別の形で問いを出すべきだと考えました。問いの前提が誤っているなら、それを正した上で問い直すべきだし、問い自体が誤っているなら、そのような問いは出すべきではないと考えました。A君には「狗子仏性」も「隻手の声」もフェアーな設問になっておらず、意図的に問いを歪曲していると思われたのです。

 私たちの脳は二つの異なる働き方をしています。一つは知識を使い、論理的に分析し、結論を導く働きで、合理的知識のシステムがその結果です。ところが、そうした理性的認識や分別ではなく、「瞑想知」、「直観知」とも呼ぶべきもう一つの脳機能があり、その機能を取り戻すための手法が禅なのです(瞑想知や直観知と呼んでも、その正体はよくわかりません)。そこで、臨済宗公案体系を組み直した白隠禅師は、新たな問題として「隻手音声(せきしゅおんじょう)」を創作しました。「両手を打てば音がする。ならば、片手ではどんな音がするか、聞いてこい」という公案です。

 禅は大脳皮質の働きを信用していないようです。外界の認識さえ自己というフィルターで歪めるし、それは世界と直接に向き合うのを妨げてさえいると考えています(でも、人間は言葉を操り、論理的に思考する生物ですから、それらを通じて世界と関わってきたというのが常識です)。むしろ、(人間が進化の早い時期に獲得した)辺縁系や脳幹の働きこそ大切だと考えるのです。坐禅は「分別知」を鎮静化させ、薄靄のなかに稲妻が走るように、直観を働きやすい状態にする稽古、訓練、演習とも言えます。