波除(なみよけ)神社の供養塚

 住吉神社の鰹塚を記した際に波除神社の塚に言及しました。住吉神社以上に狭い境内に供養塚がひしめいているのが波除神社で、築地の喧騒がそのまま境内に持ち込まれています。波除神社の祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、つまりは稲荷大神で、それゆえ正式名称は「波除稲荷神社」。江戸時代の東京は八重洲が海岸線で、築地はまだ海の中。日比谷の埋め立てから始まり、70年後の明暦の大火の後、築地の埋め立て工事が始まったのですが、大波が打ち寄せて工事が捗らない。ある晩、波間に光る物を見つけ、引き上げると、なんと稲荷大明神のご神体。そこで社殿を造営し、盛大な祭りを催しました。すると、波がおさまり、埋め立てが完了。これが1659年のことです。

 さて、鳥居を入って右に鎮座するのが「厄除天井大獅子」。「つきじ獅子祭」のときには獅子殿から出され、築地を練り歩きます。何故、獅子なのか。獅子は、大波を起こす原因である風と雲を司る龍と虎を、獅子の一喝で威服できます。天井大獅子の向かい側に、手水舎とセットになった獅子殿があり、この獅子はお歯黒獅子と呼ばれ、雌の獅子。お歯黒であるから既婚で、その亭主は向かい合わせの天井大獅子と思われます。獅子の話はこのくらいにして、奥から順に並ぶ多くの塚に話を移しましょう。

 順に挙げれば、昆布塚、おきつね様、はまぐり石、活魚塚、鮟鱇(あんこう)塚、海老塚、すし塚、(末社合祀殿)、玉子塚、(弁財天社)と並んでいます。どれも、その業界の組合や企業が寄進したもので、鰹塚に似て、供養のための塚です。

 これらの存在とその配置は、築地魚河岸の縮図が神様の世界でも実現していて、何か微笑ましいような、やるせないような、聖と俗の区別などいかがわしい作り物に過ぎないような、あっけらかんとした気分にさせる境内風景をつくっています。

*画像の塚を上記の塚名から同定してほしい。

**築地市場の守り神である「魚河岸水神社遥拝所」は築地市場とともに豊洲に移転したが、土地の氏神である波除神社はそのまま築地に残っている。