方便の功罪

 「方便」を広く解釈すれば、私たちが生きる時の手段や方法で、その最たるものが言語や知識です。さらに、それらを使った物語は世界や自然を知り、理解するには欠かせない方便として利用されてきました。方便とは生きる手段、生きる工夫、生きる策略、生きる評価等々、それらのどれをも指すものです。これから暫くはこの広義の方便を使って色々考えてみよう。Facebookの友人からのコメントに刺激されて、モヤモヤしていたものを書き出してみる気になりました。『平家物語』の冒頭に登場する沙羅双樹を例に方便を具体的に考えてみることにします。

 仏教では生き物(衆生)を導く巧みな手段や、真理のために仮に設けた教えを意味するのが「方便」で、「嘘も方便」といった言い回しは小学生でも知っています。多くの経典と並んで「涅槃図」もそのような方便の一つです。涅槃図は釈迦が沙羅双樹の下で、頭を北にして、西を向き、右脇を下にした姿と、周りを囲む通常は8本の沙羅双樹、そして十大弟子をはじめとする様々な生き物が嘆き悲しむ様子が描かれた図です。沙羅双樹はその下に釈迦が身を横たえると、満開の黄色い花を咲かせ、入滅すると枯れた、あるいは白い花を咲かせたと言われています。涅槃図を見比べると、釈迦の頭部、つまり北の方向にある沙羅双樹が枯れる場合、釈迦の足部が枯れる場合の両方があるようです。釈迦の入滅は2月15日で、現在の3月15日。寺院で営まれる涅槃会では、「涅槃図」が掲げられ、「涅槃経」や「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」が読まれます。

 江戸時代には多くの涅槃図が描かれましたが、中国から伝わった涅槃図を含め、国宝から重文まで様々な涅槃図が現存します(例えば、谷文晁の涅槃図)。涅槃図の中の植物、特に沙羅双樹は博物誌の標本として描かれている訳ではなく、入滅時に反応した植物の代表という方便で描かれているに過ぎません。『平家物語』の作者も読者も、誰も実際の沙羅双樹を見た人はいませんから、ナツツバキで沙羅双樹を想像するという方便に頼った訳です。この話は意外に根が深く、21世紀になるまで日本で沙羅双樹の花を実際に見ることはできませんでした。その花はクスノキの花のように小さな花で、ナツツバキのような大きな花とはまるで違います。

 にもかかわらず、京都の幾つもの寺では庭にある沙羅双樹の花を愛でようとツアーが組まれています(例えば、妙心寺東林院で、どの寺院も植えられているのはナツツバキ)。ナツツバキの花が咲く6月に沙羅双樹の花を愛でることになりますから、3月の涅槃会とは完全にズレることになります(京都で本物の沙羅双樹があるのは京都府立植物園だけ)。ナツツバキを見ながら「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」を味わうことになる訳です。では、沙羅双樹の代役としてのナツツバキという方便の功罪や如何に。