霊魂や怨霊と日常世界(1)

 大学に入り、私が知ったのがアリストテレスの『霊魂論』。何とも厳めしいタイトルですが、彼の「霊魂」は、今様には「心」のこと。ラテン語をそのままカタカナにし『デ・アニマ』と呼ばれることもあり、人の心や生命についての考察。生命、心や魂に関する研究で、生物学と心理学が一緒になったような領域を扱っているのが『霊魂論』というのが大学生の私の理解でした。その半ば科学的なアリストテレスの著作より遥かに物理主義的な心の理解に惹かれていた私には超越的な魂の存在や宗教的な諸説は過去の遺物にしか思えませんでした。

 歴史の中で宗教と深く結びついてきたのが「霊魂」です。例えば、「怨霊」は特定の相手に怨みを持ち、その怨みを晴らすためにその相手に災いをもたらす霊魂です。「悪霊」は不特定多数の人に災いをもたらす霊で、怨霊を一部に含んでいます。つまり、怨霊は特定の人、特定の状況で悪事を働くわけです。善霊は生前に殺されたにもかかわらず復讐を望まない霊で、霊界において高位に存在する霊です。よく、善霊と悪霊に分類するときは、人を守護する守護霊や支配霊が関係しています。一般的に守護霊は善霊です。守護霊は先祖霊が多いとされていますが、先祖霊は6割ほどで、恩人や友人であることもあります。逆に、人間は悪霊にそそのかされて、道を踏み外します。悪霊は文字通り悪い影響をもたらす霊のことです。人間に宿る悪霊は二種類あるといわれています。一つが人間の霊で、死んで間もない未熟な霊で、いわゆるまだ成仏していない霊です。人間にとりつくもう一つの悪霊は動物霊です。動物霊は低級霊よりも下のランクに位置し、本能のままに行動し、お金や異性関係などに固執し、物質主義的な悪影響を人に及ぼします。

 こんな常識とも迷信ともつかない霊の話が今でも存在していること自体、人間は何とも不思議な存在だということの証ですが、アリストテレスの霊魂とは随分異なる、このような霊魂の常識について若い私を少し揺すぶった日本の文献が幾つかあります。神など信じていなかった若い私にはキリスト教イスラム教、仏教、神道はどれも異教どころか、宗教自体が迷信そのものだったのですが…

 最初は梅原猛の『隠された十字架』で、「聖徳太子が怨霊である」ことが述べられていて、推理小説のようだったのを憶えています。法隆寺は仏法鎮護のためだけでなく、聖徳太子の怨霊を鎮魂する目的で建てられたという仮説の展開は夏休みの私に暑さを忘れさせてくれました。そこから、慈円の『愚管抄』に見られる怨霊鎮護の御霊信仰や、『平家物語』での仏教的な怨霊鎮護が仏教と神道の習合として浮かび上がってきたのです。インドの仏教には怨霊は存在しない筈ですが、それがこれらのテキストには怨霊がふんだんに登場し、日本の神仏習合の長い歴史が見えてくるのです。

 さらに、私は科学哲学に関心をもちながら、能楽にも興味をもち、サークルに所属し、謡と仕舞に興じていましたから、怨霊は身近なものとなっていました。怨霊に惹かれ、それを演じ、それでいて上記のテキストへの反撥が刺激となって、私が心身問題に興味を持ち、心身の習合や、心と脳の一元論などが私の哲学的な関心の一つになっていく訳ですが、日本的な霊魂の中での核心に位置していたのが折口信夫の『死者の書』でした。折口は1953年に亡くなっていますから、1947年生まれの私は直接彼に会ったことはありません。ですから、私が『死者の書』を読むのは折口が亡くなってからずいぶん経ってからのことです。

 折口は1928年に國學院大学から慶應義塾大学の文学部国文学専攻に移ります。その折口の弟子の一人が池田弥三郎で、私はその池田の弟子の方々から折口の話を間接的に聞いた程度です。折口は民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空と号した詩人、歌人としても有名です。折口の研究は「折口学」と呼ばれ、民俗学では柳田國男の高弟であり、ライバルでした。