神仏習合:霊魂

 怨霊や悪霊となれば、古式神道を思い起こす人が多いのではないでしょうか。でも、ヨーロッパの哲学や宗教でも霊はよく登場します。中でも、アリストテレスの『霊魂論』(De Anima、On the Soul)は命、心、霊魂に関するよく知られた著作です。これは古代ギリシャ語のプシュケー(元は息、そして命、心、魂)について研究されたもので、「心とは何か」が主題の一つになっています。彼はプシュケーを身体から分離したものではなく、身体と不可分の機能(function、働き)と考えています。生物の機能であるプシュケーは生物の発生段階に応じて変化します。アリストテレスによれば、プシュケーは栄養、感覚、欲求、運動、思考などの機能を備え、植物は栄養と感覚能力をもち、動物はそれらに加えて、欲求の能力をもっています。

 感覚には触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚という五つの感覚があり、それら感覚器官が感じることができるのは運動、静止、数量、形状、大きさの五つです。アリストテレスはそれら感覚の中でも触覚はあらゆる動物に一般的に備わっていると述べ、触覚能力が十分にあってこそ、はじめて他の能力が備わっていくものと考えていました。

 アリストテレスによれば、人間は感覚よりも高度な思考の能力を備えています。理性はプシュケーの最高の段階に位置し、人間は「理性的な動物」ということになります。そして、これがアリストテレスによる人間の定義なのです。

 余りに月並みでちょっとがっかりの内容と思う人が多いのではないでしょうか。霊魂、精神、心がこれでは十分に解明できていない、何とも平凡な特徴づけと思うのではないでしょうか。アリストテレスは私たちの身体、思考、自然、知識について常識と呼ばれるものの多くを供給してくれました。そのために、彼の主張は凡庸で退屈だと思われてしまうのです。例えば、プラトンの思想の方が魅力的に見えるのは、アリストテレスの学説が常識として受け入れられ、彼の考えが広く教育されたためではないでしょうか。それこそ歴史の偶然に過ぎません。プラトン空海の考えが教えられ、常識となっていたなら、アリストテレスはとても新鮮で、革新的な思想家に見える筈です。

 こうして、アリストテレスの常識を見直すために古式神道、プラトン、そして空海らの霊魂や心、精神について学ぶ必要があることになります。霊魂についての常識は一つではなく、複数あるなら、複数の常識の間の関係を見極めることが必要になります。