「ツバキについて」について

 ツバキについて5回書いたが、不評だったことは否めない。何を言いたいのか、よくわからないというのが読後感だろう。自己弁護だが、言いたいことを再言しておこう。

 例の三つの画像を見て、「それぞれ何で、どんな役割や印象をもつか」と問われ、「真か否か」、「益か否か」、「美か否か」の三つの基準から判断する際、問いに対して適切に答えるには私が書いたような事柄が必要になるということが言いたかったことである。それらが混じり合った文脈で、問われて答えることが始終起こる。「これはツバキか、サザンカか」、「これはオトメツバキか、オトメサザンカか」。「これはユキツバキか、カンツバキか」といった最も単純な問いでさえ、上記の三つの基準のどれかがどの程度考慮されているかに依存している。独断と偏見が先行する中で、僅かでも公正に判断しようとすれば、優柔不断が不可欠になるのだろう。

*三つの画像がそれぞれ何の花か、あなたはその中のどれが好きか、どれを地区の花にするか、といった問い、さらには「越後の雪椿」という表現が何を意味するか、再考してみよう。