無常観と持続可能性(2)

 最近の多くの門徒門徒の自覚さえ覚束ない人が多いのですが、それでも門徒であることを代々持続してきました。「持続可能である」と形容される社会よりはずっと確かな歴史的な事実として共同体の中で門徒であることを持続してきました。そして、当然ながら仏教の「無常」観がぼんやりとではあれ、共有されてきました。

 そんな共同体の祖父母に育てられた高校生2年生のAさんは理系の生徒で、物理学や生物学に強い関心を持っています。生物学的な「適応(adaptation)」はダーウィンに始まる進化生物学の基本概念の一つであり、自然選択(natural selection)によって適応形質が獲得され、それを持続する生物種が生存するというのが「自然選択の原理」の主張だと学び、適応と持続性、あるいは持続可能性は重なり合う部分が多いことを学びました。

 さらに、Aさんは「持続「可能性」(sustainability)」の「可能性」が「統計的な意味」での可能性だと理解することによって、熱力学の統計力学的解釈を受け入れ、数学的な対称性(symmetry)概念が物理学的な保存性(conservation)と密接な対応関係があり、それを表現した「ネーターの定理」に強い感銘を受けました。

 それらのことから、Aさんは保存的でない基本法則の一つとして、熱力学の第二法則に注目しました。それはエントロピー増大の法則と呼ばれ、どのような熱力学的システムもそのエントロピーは増大していく、次第に秩序が壊れ、最終的には「熱死」と呼ばれる無秩序の極みに達するという主張です。

 この法則は仏教の主張である無常観、つまり世界は「諸行無常」であるという主張と一部重なっているように見えます。ここは微妙なのですが、単なる物理的な変化も無常ですので、「無常」や「空」といった仏教概念が正確にどのような変化を指しているのかに依存することになります。Aさんとしては、熱力学的な変化を本質的に含むのが仏教の「無常」だと解釈したいのです。

 Aさんには「持続可能な経済成長(development)」や「環境保全と経済成長の両立性」はとても相対的で、限定的なものに過ぎず、人間中心的な利己的主張でしかないと思われてならないのです。限定的に持続可能に見えるシステムを拡大するなら、それら両立性が生物学的、物理学的に成り立たなくなるというのがAさんの暫定的な結論です。