雑件二つから

(1)偶然と因縁

 会津八一が1881年8月1日に生まれ、そこには1と8だけが登場するため、「一八」ではなく、「八一」と命名されたというのは偶然のことの筈だが、運命めいたものを感じる人は少なくない。

 その八一が1881年生まれ、1882年に生まれたのが上越小川未明。そして、1883年に生まれたのが糸魚川の相馬御風。いずれも早稲田大学出の文学者となると、多くの人はそこに因縁めいたものを感じてしまう。小川未明は彼の学友相馬御風と同じく旧制高田中学(現高田高校)、東京専門学校(現早稲田大学)専門部哲学科を経て大学部英文科を卒業。こうなると宿命を感じる人が多い筈である。

(2)スペイン風邪義援出版

 今はコロナ感染症が拡大し、明日にも緊急事態宣言が出されるような状況である。100年ほど前、世界中に流行性感冒、所謂スペイン風邪が猛威をふるった。5億人が感染し、死者が推計5千万人。日本でも大正7(1918)年からの3年で22万人が亡くなった。『早稲田文学』主宰者の島村抱月もその一人で、抱月に指導を受けた小川未明も一家4人が罹り、一時危篤になった。しかも、未明は既に貧乏生活で二児を亡くしていた。早稲田の後輩である木村毅、未明の友人古川実や水守亀之助が相談し、印税収入を未明に贈るため『十六集』を新潮社から出版することが決まった。相馬御風と片上伸が編者の『十六集』には坪内逍遥が跋文を寄せ、芥川龍之介菊池寛佐藤春夫らが参加し、1920年刊行された。2か月に5刷を重ね、未明は病と貧苦から脱することができた。当時は作家を救済するための本が数多く作られ、印税が寄付された。では現在はどうだろうか。

(3)

 (1)の2件、(2)の1件はその順に偶然から必然へ、あるいは無意味から有意味への度合いの違いがみられる事柄に見える。(2)は偶然どころか、有意味な人の心の働きを見て取る人が多い筈である。だが、どれも同じように偶然的な事柄に過ぎないと考えることもできる。三つを同じように予測することができるかと聞かれると、いずれも予測は困難である。だが、単なる事実としてではなく、物語として運命や因縁、人情や美談といった事柄を事実にミックスさせると、偶然が必然的に、あるいは運命的な物語に変身するのである。そして、私たちはそこにこそ物語、つまりは文学の力を感じるのである。