達磨:第一義と不識

 『碧巌録』第一則、『従容録』第二則の公案は大変有名で、「第一義」、「不識」が登場します。武帝との問答は「達磨廓然無聖」と呼ばれ、それを中村不折が1914年に描いています。『碧巌録』の著者は雪竇重顕と圜悟克勤の二人の禅僧。最初の公案を覗いてみましょう。
第一則 達磨廓然無聖
本則
梁の武帝達磨大師に問う、「如何なるかこれ聖諦第一義
磨云く、「廓然無聖(かくねんむしょう)」 
帝云く、「朕に対する者は誰ぞ?」
磨云く、「識らず
帝、契わず、達磨ついに江を渡って魏に至る。
(以下略)
梁の武帝達磨大師に聞いた、「仏法の第一義はどのようなものですか?」
達磨は言った、「からりと晴れ渡った青空のように「聖」も何も無い」
武帝は言った、「朕に向かいそのようなことを言っているお前は一体何者だ?」
達磨は言った、「そんなことは識(し)らん」。
武帝は達磨の心を理解できなかった。達磨はついに江を渡って魏に去った。
(以下略)
 梁の武帝は仏教に帰依していて、「自分は即位以来、多くの寺を建立し、多くの僧侶を育て、仏法修行に精進しているが、はたしてどんな功徳があるのか」と達磨に問いかけます。ところが、達磨は功徳などないと答えます。でも、これは理不尽で理解できません。というのも、仏教は善因善果、悪因悪果の因果応報をもとに、「修善奉行」(善業を修めなさい)「諸悪莫作」(悪い事はするな)と説いているからです。そこで、武帝が尋ねます。「では、仏法の根本とは一体何か」と。からりと晴れた青空のようなもので、聖とか梵の分別は無く、聖と呼ばれるものなどないというのが答え。武帝はその意味が理解できず、「朕に対する者は誰そ」(私の前にいるあなたは一体誰ですか。)この質問に対する答えが「不識(ふしき)」です。不識とは単なる「知らない」という意味ではなく、思量することが不可能という意味です。「廓然無聖」は「不識」と同じことなのです。そして、これがこの公案の核心(でも、これで納得できる人は果たしているでしょうか?)。

 公案集は問題集で、仏教の教えを系統的に教えるのではなく、問題を解く仕方で実践的に教える方法。若き謙信はこの最初の公案に感銘を受けたのです。「第一義」を山門に掲げる代わりに「不識」でもよかった筈です。その方が公案の核心を表現しているからです。実際、謙信は自らの法名不識庵謙信とし、庵号不識庵です。

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中村不折廓然無聖」1914、東京国立近代美術館