カワズザクラ(河津桜)満開

 近くに10本を越える河津桜があって、それがこの数日の陽気で、満開になっている。カワズザクラはオオシマザクラカンヒザクラの交雑種と言われるが、シュゼンジカンザクラ(修善寺寒桜)もオオシマザクラカンヒザクラの交雑種とのこと。また、カンザクラ(寒桜)はカンヒザクラヤマザクラの交雑種で、やはり数日前に咲いているのを見た。色んな桜が増え、オオシマザクラソメイヨシノに先立って、今年も次々とそれらが咲き出している。

 桜もウイルスも不易流行を本質とするなどと呑気に思いながらも、桜が咲き終わる頃には新型コロナウイルスの流行がどのようになっているか、ワクチンの接種はうまくいっているのかどうか、予測できない世の中が暫く続きそうである。

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実梅

 食べる梅の代表は梅干しで、南高梅はその一つとして有名です。食べるウメ、つまり実ウメは花も実も楽しめ、育てやすく、農薬もほとんどいりません。ウメは品種が多く、中国からの渡来種のほか、日本では江戸時代にたくさんの品種の育成、改良が行われ、現在では300種以上あると言われています。園芸上分けると、花の観賞を目的とする「花梅(はなうめ)」と、実の採取を目的とする「実梅(みうめ)」に分けられます。でも、二つの区別は人の都合でつくった区別に過ぎません。

 花梅は花さえきれいに観賞できればよいので、実がつかなくても、美味しくなくても構いません。花を目的に改良されているので、赤やピンク、八重やしだれなど色やその姿もいろいろです。また、早咲のものも作られています。

 実梅の場合、花はあくまで虫に受粉してもらうためなので、虫が集まりやすい白い花の方が効率がよく、花の時期もあまり早いと受粉してくれる昆虫もいません。ですから、実梅は比較的特徴のない無難な花姿になっていきます。とはいえ、実梅の花も立派なウメの花で、それは画像が示してくれています。

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関山権現社の「権現(ごんげん)」とは

 妙高市の関山神社は江戸時代まで「関山権現社」 と呼ばれ、三体の仏像を本尊としていました。「権現」とは、仏や菩薩が人々を救うために仮の姿(=神)になって現れることです。また、その現れた神のことも権現と呼びます。元の仏のことは本地仏(ほんじぶつ)と呼びます(本地は神の姿となって現れた垂迹身に対してその本来の仏や菩薩を指します)。このような神仏の同一化は平安時代に生まれた神仏習合を説く本地垂迹説によるもので、神と仏が結びつけられ、「・・・権現」と呼ばれるようになりました。
 本地垂迹説は、神の本地は仏で、人々を救済するために神を仮の姿としてこの世に現れる、という主張です。天照大神の本地は十一面観音(または大日如来)です。権現号は明治時代の神仏分離により使用が禁止されましたが、庶民の間では権現信仰は根強く残り、日吉神社の「山王権現」や春日大社の「春日権現」などのように、権現名で呼ばれる神も健在です。徳川家康を祀った東照宮も「東照大権現」として有名です。「権」という文字は「権大納言」などと同じく、「臨時の」、「仮の」という意味で、仏が仮に神の形を取って現れたことを表しています。

 例えば、蔵王権現奈良時代役小角(えんのおづの)によって初めて祭られました。これが吉野の金峯山寺蔵王堂で、現在でも蔵王権現三体が祀られていて、それぞれ釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩とされています。八幡が阿弥陀如来であり、日吉が釈迦如来薬師如来であるなど諸神に本地仏が配され、仏教宗派と関わり合いながら、独特の信仰として全国に広まっていきました。

 さて、関山神社縁起によれば、妙高山和銅元年(708)に裸行上人が登山し、弥陀三尊の来迎に会い、頂上に阿弥陀三尊を祀り、翌二年に神託を受けて麓の関山に社殿が造営され、「関山三所権現」と呼ばれることになります。これらは伝承で、後世の創作ですが、裸行上人の開基が意味するのは、熊野那智山修験道の影響があったと考えられます。また、山頂に阿弥陀三尊を安置したのは、阿弥陀三尊が一光三尊仏であることから中古に信州善光寺信仰の影響があったと考えられます。
 関山三所大権現は、主尊が関山大権現(祭神国常立尊、本地聖観音)、左脇侍が白山大権現(伊弉冊尊、本地十一面観音)、右脇侍が新羅大明神(素戔嗚尊、本地文殊)ですが、古くから祀られていた本尊に脇尊が加えられて三所になったと思われます。主尊として殿内中央の厨子に安置されていた秘仏の銅造聖観音菩薩像(県指定文化財)は像高20.3センチの小像で、朝鮮三国時代新羅仏です。また、両脇侍の像はともに江戸時代の作です。

ナニワズ

 ナニワズはジンチョウゲジンチョウゲ属の落葉低木で、雌雄異株。エゾナニワズ(蝦夷難波津)、エゾナツボウズ(蝦夷夏坊主)が別名。ナニワズは福井や福島以北の本州、北海道に生育する。葉は長さ3~8㎝で、基部は楔形となってやや輪生状にかたまってつく。葉基部の側脈はほとんど分かれず、葉の縁に沿って中部にまで達する。秋に蕾をつけて、翌春に開花する。沈丁花によく似た黄色い花が咲く。花の香りがとても良く、早春の空気にマッチしている。
 ナニワズはオニシバリに対する長野の方言。どうして漢名が「難波津」なのか、不明である。「蝦夷難波津」となると、ますます不明。オニシバリは樹皮が丈夫で鬼をも縛り付けることができることに由来する。
Wikipediaによれば、牧野富太郎『新牧野日本植物圖鑑』で、「ナニワズ」はオニシバリの長野県の方言で、長野県人が北海道に生育するオニシバリに似た本種をナニワズと呼んだのが始まりとされる。一方、『植物和名の語源』の深津正は、オニシバリの別名であるナツボウズ(夏坊主)が転訛して「ナニワズ」となった説を挙げ、さらに難波津の歌「難波津に咲くや此の花冬ごもり 今は春べと咲くや此の花」を挙げ、「咲くや此の花」は早春に咲く梅の花と言われるが、北国の人々が雪残る早春に咲く本種に、春到来を表した「難波津」の歌を重ね合わせたと推測している。

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サルココッカの花  

 建物に近づくと、入り口の横の陰の薄暗いところからいい香りが漂ってくる。よく見れば、サルココッカの花が咲いていて、その香りなのだ。サルココッカはツゲ科サルココッカ属の常緑低木で、葉は濃い緑色で光沢がある。冬の緑も魅力だが、花は小さく、白色で、早春に咲き始める。英名はスイートボックス(sweet box)で、その名の通り、花は強く甘く香る。晩秋からは赤紫から濃い紫色をした果実をつける。

 暗い場所でも生育でき、建物の北側や樹木の下でも育つ。また、生育は遅く、そのため樹高に制限のある場所や十分にスペースの取れない場所でも生育できる。北海道の南部から沖縄まで幅広い気候条件に対応していて、何とも人の都合によく合っている。

 サルココッカはヒマラヤ、東南アジア、中国南部が原産。「サルココッカ」という名前は19世紀のイギリスの植物学者が名付けたが、「サルココッカ」はギリシャ語で「肉質の液果」という意味。一般的な鉢植えの他、花壇や街路樹、ゴルフ場、学校や公園などの公共施設など、様々な場所で栽培されている。

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フクジュソウの開花

 晴海のトリトンスクエアで見掛けたのが春の訪れを告げるフクジュソウの花。フクジュソウキンポウゲ科多年草で、その眩しい黄金色の花で春を告げる。そのため、新年の季語となっていて、「福告ぐ草(フクツグソウ)」という名前が江戸時代に使われた。その後、おめでたい「寿」と差し替えられ、「福寿草」となった。旧暦の正月(2月)頃に咲き出すことから、「元日草(ガンジツソウ)」や「朔日草(ツイタチソウ)」という別名もある。

 江戸時代より多数の園芸品種があり、緋色や緑色の花をつける品種もある。花は陽が当たると開き、日暮れ、夜間、曇天には閉じてしまう。花びらを開閉することで、花の中の温度を下げないようにしているらしい(画像は半ば開いているフクジュソウ)。花の中央部に集熱することにより保温力を高め、昆虫を集め受粉に利用する。これはフクジュソウが蜜をもたないための戦略で、種の保存の一方法である。

 ところで、昨日は報道関係の人たちがたくさん集まっていたが、オリパラの組織委員会の新会長選出の会合がオフィスタワーのY棟で開かれていたため。どうやら新会長が決まったようだが、フクジュソウの開花から始まり、夏の花々がトリトンスクエアの庭に咲く頃、世の中は一体どうなっているだろうか。

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晴海トリトンスクエア オフィスタワーY棟

 

ツルニチニチソウ(蔓日々草)とオオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)

 妙高は大雪なのに、湾岸地域は春の兆しに満ちている。その一つのツルニチニチソウキョウチクトウ科ビンカ属の常緑蔓性植物。容易に栽培可能で、花が美しいことから、現在では逸出したものが野生化し、帰化植物として広く定着している。属名のビンカは、ラテン語で「紐」や「結ぶ」を意味する。花期は2月中旬~5月で、上部の茎の葉の付け根から花柄を伸ばし、花径4~6㎝程度の花を咲かせる。(画像)。

 花姿がニチニチソウに似ていることから、ツルニチニチソウの名前がついた。ヨーロッパでは、「蔓日々草を身につけていると悪を寄せつけない」と言われ、冬の間も枯れないので、不死の力や魔力を持つと信じられていた。湾岸地域では当初グランドカバーとして植えられ、それが野生化し、あちこちで見ることができる。

 オオイヌノフグリは、オオバコ科クワガタソウ属の越年草。路傍や畑の畦道などに普通に見られる雑草。イヌノフグリに似て、それより大きいために名前がつけられた。フグリは陰嚢のことで、イヌノフグリの実の形が雄犬の陰嚢に似ていることからそう呼ばれることになった。同じ属にイヌノフグリがなければ、この花のイメージからはもっと可憐な名前がついたに違いない。オオイヌノフグリはヨーロッパ原産の帰化植物で、1890年頃に東京に帰化したことがわかっている。私の子供時代の記憶では田畑の畦道などによく見られ、早春からコバルト色の花を咲かせていた。春の訪れを感じさせる植物の一つで、それが既に湾岸地域でも咲き出した。

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