白いグラジオラス

 ​​グラジオラス(英名Gladiolus)はアヤメ科グラジオラス属の総称で、日本には自生種はなく、いずれも園芸植物であると。別名はトウショウブ(唐菖蒲)、あるいはオランダショウブ(阿蘭陀菖蒲)で、原産地はアフリカ、南ヨーロッパ西アジア
 グラジオラスの歴史は古く、古代ギリシャ時代から親しまれてきた。その名前は古代ローマの剣であるグラディウスからつけられ、葉が剣に類似していることが理由となっている。日本には幕末に輸入された。当時は、トウショウブやオランダアヤメと呼ばれていた。

 春植え夏咲きで背丈が高く花の大きいグラジオラスと、秋植え春咲きの背丈が低く花も小さめな早咲きグラジオラスが出回っている。ガーデニング以外では切花の生産も盛んである。

 画像は切花のグラジオラスで、花は白一色である。

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キンカン(金柑)

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 キンカンはミカン科の果実の中ですが、果皮のまま食べることができ、皮を捨てて果肉を食べるミカンとは違います。キンカンは高さ3 mほどの常緑低木で、枝は棘がほとんどなく、夏に1~3個の小さな白い花をつけます。果実は球形か短卵形で、黄金色。

 「金」は実の色、「柑」は「柑子(こうじ)」で、みかんの古い名前。別名は「姫橘(ひめたちばな)」。このようにキンカン類はミカン属と考えられていましたが、ミカンと比べると実が小さく、子房の室数が少ないなどの理由から、ミカン属から分離してキンカン属に分類されています。

 キンカンは中国原産。1826年に中国の商船が遠州灘で遭難し、清水港に着いた際に、助けてくれた地元の人に船員が砂糖漬けの金柑果実をプレゼント、そのタネが育って、日本で広まりました。

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妙高の神社:要約

 これまで何回か妙高市の仏教や神道につて述べてきました。色々なコメントいただきありがとうございました。これまでの話を簡単にまとめておきます。

 神道への私たちのイメージは明治時代以後にできた国家神道に基づいています。それをさらに辿ると、 古代国家ができた頃の神道に行き着きます。大和朝廷神道を国家宗教にして、『古事記』や『日本書紀』を編纂して神祇官などの官制をつくりました。むろん、より原始的な時代にも、既にアニミズムシャーマニズムの信仰がありました。江戸時代には吉田家が幕府に委託されて神道を管理していました。そして、明治以降は国家神道となり、戦後になると神道は国家と分離されます。

 戦後に神社本庁をつくるとき、一つの宗教のように教義をつくるという意見がありましが、様々な神社がそれぞれの由来を持っていて考え方に多様性があり、それを尊重する集合体としてスタートしました。中心を伊勢神宮に置きながら多様性を尊重するかたちで考えられたのです。でも、戦後の神社は民間の宗教法人ですから、宗教的な主張や性格が問われることになります。議論の末、統一的な教義はつくらず、標準的な解釈をつくろうということになったようです。

 さて、新潟県の神社数は約4700社で、2位の兵庫県に1000近い差をつけて全国で最も多いのです。その理由の一つが、明治の頃、新潟県は人口が日本で一番多い県だったこと。 明治21年の人口は約166万人、次いで兵庫県の151万人で、何と東京都は4位でした。明治政府は神社の統合を各都道府県に呼びかけましたが、当時の新潟県は他県ほど強力に統合を推し進めませんでした。これが二番目の理由で、その結果、多くの神社がそのまま残ることになりました。

 新潟県内にある神社の約4分の1が「諏訪神社」に関連する神社で、県内で最多です。 全国2万以上ある諏訪神社の総本社は長野県諏訪市諏訪大社。そこに祀られているのが「建御名方神(たけみなかたのかみ)」。その母親が糸魚川の「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」です。出雲勢力が日本海側を北上し、内陸に入っていく道筋の一つが妙高であり、それが諏訪大社までつながっていました。

 新潟県神社庁のリストによれば、妙高市には神社が何と94もあり、その中でも最も多いのが諏訪社で、23社もあります。次が八幡社で18、そして神明社の13です。妙高山麓に神明社が集まり、諏訪社は海岸、平野に広く分布しています。仏教と神道の組み合わせは色々考えることができますが、妙高市真宗・諏訪社が多い平野部と、真宗神明社が多い妙高山麓部に分けられそうです。

 神明社は、天照大神主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする神社です。祭神の天照大御神は、太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)とされているため、農耕儀礼と密接に結びつき広く信仰を集めました。中世に入り朝廷が衰微すると、伊勢神宮の信者を獲得し各地の講を組織させる御師が活躍し、日本全体の氏神、鎮守としての存在へと神社の性格は大きく変わりました。

 八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社で、全国に約44,000社あり、宇佐市のの宇佐神宮を総本社としています。八幡神は、元々は大漁旗を意味する海神といわれ、神社では誉田別尊(ほんだわけのみこと)、あるいは応神天皇(おうじんてんのう)の祭神名でまつられています。

 「神霊(=神)は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをする」とされています。分霊によって同じ名前をもつことになった神社グループは、例えば「八幡さま」(‥八幡宮、‥八幡神社)、「お稲荷さん」(‥稲荷神社)、「お伊勢さま」(‥神明神社、‥皇大神宮、‥天祖神社)、「熊野さま」(‥熊野神社)などがあります。

 出雲族は大和族と国家を二分する巨大勢力でした。大和からたびたび討伐隊がやって来ますが、決着がつかなかったことは『古事記』にも述べられています。雷と刀剣の神である建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)と、鹿之神格化である天迦久神(あめのかくのかみ)が出雲の伊那佐の浜に来て、大国主に国譲りを迫ります。大国主はその子八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)が服従の意を示し、スサノオの系譜に連なる武門担当であった建御名方神(たけみなのかたのかみ)が建御雷之男神に敗れて諏訪湖の畔まで逃げました。大国主自らは戦わず、出雲の社を建築してもらうことを条件に国を譲ります。

 大国主命を中心とする出雲族の勢力は日本海の海岸を東にのび、越(こし)と呼ばれる北陸地方を勢力範囲とし、さらに東ヘ力をのばし、一部は姫川の渓谷をつたって進み、信濃に入りました。建御名方命とか諏訪明神という名前は、個人を指すのではなくて、諏訪に入ってきた出雲族の首長の名前です。

早春の紫

 2月も半ばとなると、梅が咲き、春の気配が漂い出す。春の兆しを演出する雑草となれば、ホトケノザ、ヤハズエンドウ、そしてムラサキツメグサといった面々で、よく似た紫色の花をつけている。豊洲市場の周りは豊洲ぐるり公園として遊歩道が整備されているが、そこにはこれら春を告げる雑草が咲き出している。

 クローバー、つまりはシロツメグサと並んで、それより花が一回り大きいのがムラサキツメグサで、赤ツメグサとも赤クローバーとも呼ばれる。ホトケノザやヤハズエンドウの群生は見事で、春先の雑草の代表である。

 どれも紫色の花が特徴的で、春はその紫から始まる。

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ホトケノザ

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ヤハズエンドウ

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ムラサキツメグサ

 

カジイチゴの新芽

 芽の出たカジイチゴは「芽出し木苺」と呼ばれる生け花の花材になっている。コロナ感染症や昨夜の地震と世は騒然としているが、青々として、瑞々しく春の到来を予感させる花材である(画像)。

 クサイチゴは草本、つまり草(くさ)だが、カジイチゴは低木である。背の低いカジイチゴは、クサイチゴと区別しにくい。だが、葉の形が違う。カジイチゴの葉にはカエデのような切れ込みがある。同じカエデ型の切れ込みのある葉をもつのがモミジイチゴだが、カジイチゴはモミジイチゴとは違って、花は上を向いて咲き、画像のように花弁に縮れが目立つ。

 カジイチゴは庭木としてよく栽培され、和名は葉がカジノキに似ていることからつけられた。トウイチゴ(唐苺)という別名があるが、中国には自生しない。6月頃に実るオレンジ色の果実は食用となる。花期は2月から5月。名前の由来は葉の形がカジノキに似ていることから。

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梅の花

 ウメ、サクラ、ハナミズキなどは白やピンクの花をつけます。今はウメがあちこちで咲いていますが、湾岸地域ではウメが次第に減って、ハナミズキが増えたような気がします。いずれも白とピンクの花をつけますが、アメリカ原産のハナミズキと違って、ウメは中国原産で、遥か昔から日本文化の担い手となり(例えば、尾形光琳紅白梅図屏風」)、その実は貴重な食用となってきました。そうなると、「ウメ」ではなく「梅」と書いた方がしっくりきます(「ウメボシ」ではなく、「梅干し」)。
 美味しい梅干しは白梅と言われますが、紅梅か白梅かは咲いた花の色ではなく、木の幹の断面の色によって決められているとのこと。ですから、「白い花の咲く紅梅」や「赤い花の咲く白梅」もあるようです。紅梅の木の断面はピンクのような淡い紅色をしていて、白梅の木の断面は白っぽい色をしています。梅干しが白梅なら、紅梅はその幹の色の美しさから、器や家具などを作るのに適しているそうです。

 昨日、歌川広重の浮世絵の画像を載せましたが、ゴッホは浮世絵に魅了され、400点以上の浮世絵をコレクションし、さらにたくさん模写しています。その一つが画像の「江戸内大木(花咲く梅の木)」で、絵の左右に漢字を描きましたが、装飾に過ぎないのか、意味ある文字なのか、謎を含んでいます。

 広重の「名所江戸百景」は1856年から出版されていて、総数は119枚。「広重ブルー」などと評される藍を生かした着色法で、天候の変化をうまく風景の中に生かし、豊かな抒情性を表現しています。模写はゴッホだけでなく、モネやホイッスラーも行っていました。

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尾形光琳紅白梅図屏風

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ゴッホ「ジャポネズリ―:梅の開花」

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歌川広重「名所江戸百景」亀戸梅屋敷家舗

 

亀戸天神

 江東区にある亀戸天神社菅原道真を祀り、学問の神様として親しまれている。藤と梅の名所で知られ、歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれている(「亀戸天神境内」、藤と女橋が題材)。また、亀戸には梅屋敷もあり、梅と縁が深い(「亀戸梅屋敷」はゴッホが模写するほどの傑作)。

 亀戸天神の境内には梅が300本以上植えられていて、梅祭りは例年2月第2日曜日から3月第2日曜日まで行われる。

 亀戸天神の心字池(しんじいけ)には「男橋」、「平橋」、「女橋」という三つの橋が架かっている。それぞれ人生の「過去」、「現在」、「未来」を象徴していて、それらを渡って、神前に向かうようになっている。男橋は大鳥居を過ぎると最初にある橋。画像の広重の絵は女橋を描いたものである。

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歌川広重「名所江戸百景」亀戸天神境内

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歌川広重「名所江戸百景」亀戸梅家舗