「なでしこジャパン」とダイアンサス 

 かつて日本男性が理想とした女性像は「大和撫子」と呼ばれていました。「大和」は日本の異名で、大和政権が大和(現在の奈良県)にあったことに由来します。「なでしこジャパン」は大和をジャパンに変えてできたサッカー日本女子代表チームの愛称で、2004年のアテネオリンピックのときに一般公募によってできました。「大和撫子」は日本女性のしとやかさ、奥ゆかしさ、あるいは清らかさ、美しさを称え、ナデシコの花になぞらえたものですが、これは女性の理想像を「良妻賢母」と呼んだことに似ていなくもありません。今は「良妻賢母」を自らの理想像と考えるどころか、古い道徳に基づく男性優位社会の残滓だと思われています。実際、良妻賢母を自らの理想像と考える女性はほぼいないのではないでしょうか。では、「大和撫子」はどうでしょうか。

 漢字の「撫子」は、ナデシコの可憐な花が撫でたいほど可愛い女の子のようだということから、「撫でし子」となったと言われています。そして、「大和撫子」には二つの意味があり、植物のナデシコの在来種を外来種から区別するために「大和」の名を冠して「大和撫子」と呼んだことが一つ、もう一つは「大和撫子」を日本女性の清楚な美しさを褒め称える比喩として用いたことです。優しく、しとやかな日本女性を賛辞し、特に古来美徳とされた、凛として慎ましやかで、自らは一歩引いて男性を立て、男性に尽くす女性を意味してきました。これが辞典などで「大和撫子」の意味として説明されてきたものです。

 日本女性をナデシコに例えたことは既に『万葉集』に見られます。例えば、大伴家持の歌「うるはしみ我が思ふ君はなでしこが花になそへて見れど飽かぬかも」があります。『万葉集』では美の対象にされ、ナデシコの歌26首中8首に愛しい女性のおもかげを重ね、大和撫子の芽生えが窺えます。さらに、「大和撫子」は『古今和歌集』等で女性の比喩として用いられ、それが日本古来の美徳とされ、か弱そうに見えるが、心の強さと清楚な美しさを備えた女性を意味するようになります。そして、「大和撫子」の直喩的表現は明治期以降にさらに一般化していきます。こうして、清楚な美しさと慎ましく男性に尽くす女性像が「大和撫子」によって象徴的に表現されてきたことがわかります。

 一昨日の党首討論で選択的夫婦別姓(夫婦が望むなら、結婚後も夫婦がそれぞれ結婚前の氏を称することを認める制度)が議論されるのをぼんやり聞きながら、頭に浮かんできたのは新メキシコ大統領に女性のクラウディア・シェインバウム前メキシコ市長がなったことでした。そして、彼女の当選理由の一つが、メキシコが既に夫婦別姓で、結婚による改姓が一切ないことであることを思い出したのです。日本では戦前まで氏(姓)が個(名)に優先してきたのですが、戦後は憲法で個人が中心と変わります。でも、それをより明白に具体化しようとすれば、個人の名前を結婚や離婚によって変化させないことです。ですから、氏の選択を許す夫婦別姓、つまり選択的夫婦別姓は中途半端な個人主義とも言えるのです。

なでしこジャパン」、「選択的夫婦別姓」が市民権をもつ社会は日本のジェンダーギャップ指数(男女格差を示す値)が下位に低迷することを示す具体例だと思えば、世界の中の日本の地位について納得いくのです。

 さて、植物としてのナデシコ(撫子、牛麦)はナデシコナデシコ属(Dianthus)のカワラナデシコの異名です。ナデシコもダイアンサスもナデシコ属の総称で、アメリナデシコセキチクも含まれるので、公園の花壇のナデシコは「ダイアンサス」と呼ぶ方がよいでしょう。セキチク(石竹)の別名はカラナデシコ(唐撫子)で、原産地は中国、日本では平安時代頃からに栽培されています。アメリナデシコの別名はヒゲナデシコ(髭撫子)、ビジョナデシコ(美女撫子)で、南ヨーロッパが原産です。

 上の二つのことを結びつければ、ヤマトナデシコはその呼び名も含め、既に過去のもので、ナデシコは進化を続け、ダイアンサスと呼ぶべき時代になっています。日本女性の理想像だったナデシコは進化を続け、より多様で、多彩な植物に変貌してきました。となれば、それに合わせ、サッカー代表チームの愛称変更も含め、過去の歴史を考え直すべきではないでしょうか。

 

*画像はカワラナデシコタツナデシコアメリナデシコ、ダイアンサス、セキチク。あなたなら、どれが「大和撫子」に相応しいと思いますか?

 

カワラナデシコ

タツナデシコ

アメリナデシコ

ダイアンサス

セキチク