秘仏と御開帳(5)

 善光寺の本尊は絶対秘仏で、善光寺の僧侶も見ることができません。そして、今後も誰も見ることができないことになっています。善光寺では7年に1度、御開帳により前立本尊が公開されますが、これは本尊を模鋳したものです。善光寺の本尊は一光三尊の阿弥陀如来で、552年仏教伝来の際、百済の国から日本に渡った日本最古の仏像と言われています。日本に渡来し約100年、長野に移ってから10年ほど経ったころ、阿弥陀如来自身のお告げにより秘仏化したということになっています。秘仏化の謎には幾つもの見解があります。秘仏にした理由として、本尊の保存のため、本尊の毀損のため、盗難からの保護のためなどが挙げられますが、誰にもわかりません。ただ、秘仏化することによって人々の関心を呼び、全国的に善光寺信仰が広がりました。つまり、秘仏化によって、謎が深まり、善光寺が有名になることができたという訳です。

 拝むために作られた仏像がなぜ「秘仏」になるのか、その最も正統的な理由は、私たちの住む俗世と、聖なる世界を区別するためです。具体的な形のない「聖なるもの」、つまり、神秘的な霊力を持つ仏像に直接接することは畏れ多いという訳です。閉じることによって神聖さを増す秘仏は、密教が発達していく中で造られた仏像に多いようです。それが十一面観音や千手観音、如意輪観音などの「変化観音(へんげかんのん)*」です。

*観音像には基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、密教の教義により作られた、十一面観音、千手観音などの変化観音と呼ばれる様々な形の像があります。

 密教は教団の中で秘密の教義と儀礼を師資相承によって伝えていく仏教です。密教と逆の立場にあるのが顕教で、広く大衆に向かって明瞭な言葉で仏教の教えを説きます。一方、密教は信者だけが非公開な教団内で修行を行います。神秘主義的、象徴主義的な教義をもち、宗教体験を通して教えを体得するのが、密教の特徴です。

 次の理由は神道の「神」の祀り方の影響です。日本の神は祀る時に出現します。祭りの場では神籬(ひもろぎ)など、神が降臨する「依りしろ」を置きます。そして、神籬に対する奉仕は特定の日時を定めて有縁の人々によって行われ、それが神道の神の祀り方です。でも、仏教では境内の堂に仏像を安置して、仏が常在しているとされました。ところが、仏教で縁日や法会などの行事が行われるようになり、これは神道での特定の日時の祭りと似ています。こうして、今まで常在とされてきた仏がある特別な機会にだけ神のように現れる、つまり開帳するようになったという説が浮かび上がってきます。これは密教説とは違って、「仏教の神道化」とも呼べるもので、秘仏が日本に多いことの説明になります。

 仏像の中には血走った形相で生首を持つ忿怒尊や、男女の夫婦神が激しく抱き合う歓喜仏などの像もあります。このような仏像の力は大変強力で、理解が十分でない者にはかえって害を与えます。このような理由から、明王や天部の像は秘仏になっています。

 次は寺を運営する側の都合が理由で、一番現実的な秘仏化の理由です。秘仏化すれば、仏像の価値が高まり、さらに祭り上げられていきます。そして、それが仏像のありがたさを高めることになる訳です。さらに、主要な理由の一つが像の保存・安全性のためです。いずれも極めて人間的な理由で、宗教の持つ世俗的で人間的な特徴がよく出ています。秘仏とその御開帳は人の欲求の具体的な姿を見事に表現していて、秘仏善光寺繁栄の手段となっているのです。